KISEKI ~海~ そして何処へ●8月15日~21日●銀座アートホール 無所属で活躍する坂元宣和こと「宣和」の銀座2回目の個展が開催された。小紙では2019年12月号に「50回記念70年会より」の見出しで「夏・夢、そして沈黙」(M80)を紹介した。緊迫感のある画風にドキッとした記憶がある。そのときに個展の話を聞いていたが、コロナ禍で止むなく延期に。ようやく開催に漕ぎ着けた満を持しての展観。1978年作のシルクスクリーンから始まり、最新作「鳴動」までの35点が一堂になった。その中から3点を紹介する。まずは100号の「鳴動」。何と言っても画面中央の白いナマズの威容。紋付きを羽織っているではないか。下部の直線は水平線か、地平線か。そして紺碧の大気には雷鳴が響きわたる。この視点は一体どこから来ているのだろうか。そう考えたとき、宣和のこれまでの軌跡に目が向くのである。1979年の100号「胎蔵観」同「金剛観」には仏の姿がある。それが80年代に入ると化身となり、俗世に描かれる。既にこの辺りから「奇跡的に生まれ…自分がどこからきてどこへ行くのかという命題」の追求が始まっているようだ。2000年代に入ると画面には故郷霧島連山高千穂峰の雄姿が描かれ出し、「空・もろもろのもの」をはじめ、風や火へとシリーズ化する。やがて画面は水を捉えだし、そして海へとつながりゆく。しかしどの画面にも共通するのは必ずそこに小さな昆虫を介在させていることだ。大自然の生命体と掌にも余る小さないのちの混在。これこそが宣和の作画を支える根本要因と見た。紋付きを着た白いナマズが生命界に何かを訴えているように見えるのは、実は画家自身かもしれない。「消失する。されどここにあり」は昨年から今年にかけて描き続けている進行中の画面だ。青波の海上に立つ巨大なカミキリムシ。遠くには高千穂峰が見える。満天の星空には蝶の連舞。生命の大河が横たわっているではないか。「NO!」なぜ殺し合うのか!怒りが描かせた世情への風刺。見逃せない。[NORIKAZU]・1951年生まれ・宮崎県出身・無所属(篠原)
KISEKI ~海~ そして何処へ
●8月15日~21日
●銀座アートホール
無所属で活躍する坂元宣和こと「宣和」の銀座2回目の個展が開催された。小紙では2019年12月号に「50回記念70年会より」の見出しで「夏・夢、そして沈黙」(M80)を紹介した。緊迫感のある画風にドキッとした記憶がある。そのときに個展の話を聞いていたが、コロナ禍で止むなく延期に。ようやく開催に漕ぎ着けた満を持しての展観。1978年作のシルクスクリーンから始まり、最新作「鳴動」までの35点が一堂になった。その中から3点を紹介する。まずは100号の「鳴動」。何と言っても画面中央の白いナマズの威容。紋付きを羽織っているではないか。下部の直線は水平線か、地平線か。そして紺碧の大気には雷鳴が響きわたる。この視点は一体どこから来ているのだろうか。そう考えたとき、宣和のこれまでの軌跡に目が向くのである。1979年の100号「胎蔵観」同「金剛観」には仏の姿がある。それが80年代に入ると化身となり、俗世に描かれる。既にこの辺りから「奇跡的に生まれ…自分がどこからきてどこへ行くのかという命題」の追求が始まっているようだ。2000年代に入ると画面には故郷霧島連山高千穂峰の雄姿が描かれ出し、「空・もろもろのもの」をはじめ、風や火へとシリーズ化する。やがて画面は水を捉えだし、そして海へとつながりゆく。しかしどの画面にも共通するのは必ずそこに小さな昆虫を介在させていることだ。大自然の生命体と掌にも余る小さないのちの混在。これこそが宣和の作画を支える根本要因と見た。紋付きを着た白いナマズが生命界に何かを訴えているように見えるのは、実は画家自身かもしれない。「消失する。されどここにあり」は昨年から今年にかけて描き続けている進行中の画面だ。青波の海上に立つ巨大なカミキリムシ。遠くには高千穂峰が見える。満天の星空には蝶の連舞。生命の大河が横たわっているではないか。「NO!」なぜ殺し合うのか!怒りが描かせた世情への風刺。見逃せない。
[NORIKAZU]・1951年生まれ・宮崎県出身・無所属(篠原)