第35回読売書法展が開催され、記念事業として読売書法会創立総務以降の幹部書家27名の漢字かな交じり書を一堂に展観する「読める書への挑戦」が開催された。調和体を今一度検証し、新たな指針を書家の心に据え直す良い機会となったと考えたい。本来、作品とはあらゆる規制を廃して良い物は良いと達観することが肝要で、観者に響かない物はそれなりの出来でしかないのである。筆者は日本の言葉は「言霊」であり、書かれた書(文字)は読まれた瞬間に響く空間が必須となる。なければただの文字の羅列となると思っている。本の場合は、言葉の持つ意図を汲み取りながら読み手の心に感受したイメージを描くことが出来るか否かであり、これは何を書きたいかという書材にも当然通じるが、書芸術の制作、鑑賞とは当然次元が異なる。
ここで、井茂圭洞氏の調和体作品に眼を移そう。「素材にある母への憶に共鳴し、紙面に清澄な要白(余白)が生じるよう表現を試みた」と作者のコメントがある。出典は真宗大谷派の僧侶_宗教家の暁烏敏(あけがらす・はや、1877〜、954)全集にあることば「十億の人に十億の母あらむも…」。暁烏氏は東本願寺の僧侶、哲学者の清沢萬之に16歳で師事し、20歳で宗門改革運動に参加、いわゆる宗教界の風雲児的存在で、一方、大学在学時から俳句を作り、高浜虚子に師事した。母を亡くしたのは49歳の時。逝去後に作った『母を憶う歌』370首のうちのひとつ。直裁に現代訳としても頷けるが、実は安易な相対比較でない。憶いは個々の人によって異なる。
井茂氏は深く沈み込んだ母への憶いをじっくりと噛み締め、心の揺れあるイメージの最初の二行下をたっぷりと余白(要白)に響かせる。三行目の「十億の」からゆったりの行間を追う「母あら」、「わが」、そして月へんの一角めを極細線とした「勝る母」へと視線を導く。正に誰にもなぞれない心の中のイメージの具現であるといえよう。調和体はかくありたい。(松)
