2009日本書芸院展より

 

理事長

井 茂 圭 洞

「くれなゐにふかく
しみにしこころかも
ならの京師にとしの
へぬべきよのなかを
常無きものと今そしる
ならのみやこのうつろ
ふみれば
     (万葉集)」


 2009日本書芸院展より、新理事長・井茂圭洞氏の作品を紹介さ せていただいた。
 大伴家持が奈良の都の荒廃を傷み惜しみて作った歌(万葉集)3首のうちの2首をゆるやかなムーブマンをつけた構成で書した作品だが、潤墨部の視点移動の先に、超大字の「今そしる」を渇筆で展開する行き届いた構築性が窺える。直筆で厳しく切れ込む線、独特な「し」の用法も3行目に生きている。井茂氏の作品を支える流れの主たるリズムは筆圧の変化の対立、調和で綴られていく。和泉式部集の特徴を自身で昇華しているようだ。
 全美がその前身から数えて40周年を迎えた平成元年に、特別企画として桑田三舟氏と井茂圭洞氏を招いての座談会を神戸で開催したことがあるが、その時、お二人に座右の書となる古筆をお持ちいただいた。その時桑田氏は香紙切。井茂氏は和泉式部集を手に、その事由、出会いを述べられた。「私は和泉式部集ですが、一番最初に深山龍洞先生からは、関戸本を習えと言われて習いました。…30年代の中頃からぼつぼつ大字仮名を書く時代になります。大字仮名というひとつの壁面芸術的なことになってきた時に、秋萩帖を習いました。十五番歌合せもやりましたね。…大字仮名は10年くらい勉強しましたが、どうも仮名らしくないと考えるようになりました。それで香紙切の流れの美しさを勉強しました。つまり古筆の中でも個を主張するものと流れを主張するものの両面を勉強してきたことになります。しかしどちらか一方では駄目で、この二つの対立するもの、矛盾するものをどのように自己の内面で消化させていくかが、ひとつのテーマになっていたような気がします。そんな時にこの和泉を見たわけです。すると、これは造形的には一貫性がありますが、筆圧については同一紙面の中に対立、矛盾するものがあったわけです。わたしがずっと探し求めていた典型が示されていました。これが和泉との出会いですね。」と。
 書美に対する厳しさを持ち続けている井茂圭洞氏、書芸院の指針も動く。 (松)