「絵画にも似た情景表現の書」海手より日は照りつけて山ざくら与謝蕪村句の春の情景が70センチ四方の方形に描き出されている。書かれているより描かれていると捉えたいほど作品全体のムードを感じるのである。第49回日本の書展に出品された黒田賢一の作品。今や書壇リーダーの一人として、その都度注目を浴びる作家である。しかしいくら立場があっても作家は作品内容を第一とし、それが能くないところに本来の支持は得られない。その点、黒田の作品に疑問符を持ったことは筆者の記憶にはない。作品発表の度に足が止まる。というより自然に見入っているのである。それはやはりそこにある作品テーマが明確に見る者に迫ってくるからであり、解読に時間を要したとしても、その前に感じさせてくれるものがあるからであろう。とかく書は「読む」ことに先んじてしまうが、それを二の次にするムード(作品感)があれば見る者の心は動くのである。この作に横たわる穏やかな空気は薄墨の効果はもとより、その潤渇、行の塊、左の広い余白、粋な印影、更にはベージュの額マットも同化して六甲の春を思わせるものがある。それではなぜにそのムードが生まれるのかを考えたとき、ふと黒田の揮毫シーンを思い出した。初めて見たときは少し驚いたものである。予想に反して筆はかなり小ぶり。しかも短鋒である。そして運筆時は筆管の真上から鋒の開閉、面の当たりを瞬時に確認しながらのように書き進められていく。遅速もはっきりしている。長年鍛えた経験則のなせる技であろうが、それとは別に既に頭に描いた綿密な作品図とそれを可能にする用筆を脳から手に、そして鋒先に送っているように思えた。脳裏の作品図の具現化。それは絵画にも似た景色なのではないか。だからこのムードを醸成できるように思われる。「うみてよりひはてりつけてやまざくら」日本語の美しい音感は「海手よ利避者照りつ介亭山さく羅」と変体仮名を交えて書の情景へと変幻し、その線に、その墨に、その空間に見る者を誘う。そうして次回作に更に期待が高まる。この時代にあって、次も見たいと純粋に思わせてくれる作家の一人である。(篠原)海手より日は照りつけて山ざくら (与謝蕪村) 69×71
「絵画にも似た情景表現の書」
海手より日は照りつけて山ざくら
与謝蕪村句の春の情景が70センチ四方の方形に描き出されている。書かれているより描かれていると捉えたいほど作品全体のムードを感じるのである。第49回日本の書展に出品された黒田賢一の作品。今や書壇リーダーの一人として、その都度注目を浴びる作家である。しかしいくら立場があっても作家は作品内容を第一とし、それが能くないところに本来の支持は得られない。その点、黒田の作品に疑問符を持ったことは筆者の記憶にはない。作品発表の度に足が止まる。というより自然に見入っているのである。それはやはりそこにある作品テーマが明確に見る者に迫ってくるからであり、解読に時間を要したとしても、その前に感じさせてくれるものがあるからであろう。とかく書は「読む」ことに先んじてしまうが、それを二の次にするムード(作品感)があれば見る者の心は動くのである。この作に横たわる穏やかな空気は薄墨の効果はもとより、その潤渇、行の塊、左の広い余白、粋な印影、更にはベージュの額マットも同化して六甲の春を思わせるものがある。
それではなぜにそのムードが生まれるのかを考えたとき、ふと黒田の揮毫シーンを思い出した。初めて見たときは少し驚いたものである。予想に反して筆はかなり小ぶり。しかも短鋒である。そして運筆時は筆管の真上から鋒の開閉、面の当たりを瞬時に確認しながらのように書き進められていく。遅速もはっきりしている。長年鍛えた経験則のなせる技であろうが、それとは別に既に頭に描いた綿密な作品図とそれを可能にする用筆を脳から手に、そして鋒先に送っているように思えた。脳裏の作品図の具現化。それは絵画にも似た景色なのではないか。だからこのムードを醸成できるように思われる。
「うみてよりひはてりつけてやまざくら」日本語の美しい音感は「海手よ利避者照りつ介亭山さく羅」と変体仮名を交えて書の情景へと変幻し、その線に、その墨に、その空間に見る者を誘う。そうして次回作に更に期待が高まる。この時代にあって、次も見たいと純粋に思わせてくれる作家の一人である。(篠原)
海手より日は照りつけて山ざくら (与謝蕪村) 69×71