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Work No.39

何時しかもこの夜の…他

黒田賢一書作展(2017.05)
〔収録作品〕
①何時しかもこの夜の明けむ鶯の 木伝ひ散らす梅の花見む(万葉集)
②かはづ鳴く甘南備河に影見えて 今か咲くらむ山吹の花(万葉集)
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古稀記念
●5月3日~9日
● 日本橋高島屋6F美術画廊

日展理事・日本書芸院理事長・正筆会会長の黒田賢一氏が、このたび東京では初めての本格的な個展を開催する。
黒田賢一氏は昭和22年、兵庫県姫路市に生まれた。「かな書」に興味をおぼえるようになったのは、西谷卯木門の前田古潭の教室に入ってからと聞く。そのことが黒田氏の運命を決することになる。卯木師の直接指導を受けるようになり、3年後、21歳の若さで日展に初入選を果たすのである。
その数年後には、毎日展で毎日賞を受賞。正筆会に「黒田」という書き手がいると全国に知られ出した時期に重なる。「もう、この頃は取りつかれたようにかな書に夢中になっていました。普通かなは曲線ですが、私は強さのある直線が主体の、いわば男性的なかな文字を書きたかったんです。そんな強さを求め古筆の関戸本古今集、一条摂政集から知り得るものをすべて学ぼうとしました。」と語られている。
しかし、昭和54年に卯木師が急逝、正にこれからという32歳の時である。氏はその試練に真っ向から立ち向かった。関戸、一条摂政集ばかりか、漢字(米市、趙之謙等)も範疇に入れた猛勉強を開始する。師亡き環境であったが、見る人は見ていたのだ。日展にも連入を果たし、昭和61年、平成2年に日展特選を受賞し、書家としての地位を確立した。が、その翌年、今度は正筆会に危機が訪れる。卯木師没後僅か10年ちょっとで創始者・安東聖空、坪井正庵に続き石井梅僊会長が死去。この時、書壇があっと驚く大決断が下される。並み居るベテラン、先輩を飛び越しての黒田氏44歳での理事長就任である。正筆会は若いトップを得て積極的な活動を開始し、それを古参作家が良く支えながら飛躍的な伸びを果たすのである。
黒田氏も平成9年日展新審査員。13年には戦後生まれで初の現代書道二十人展入り。15年日展会員賞。21年内閣総理大臣賞。23年日本藝術院賞と順風満帆の歩みを進めたが、その後病魔が氏を襲う。約1年近くの闘病生活、その試練にも氏は打ち勝った。好物であったお酒も見事に断ち切った。
今回の個展は、43点の作品が並ぶが、「『古稀の記念と命をつないだ感謝の意味を込めて』今ある自分を素直に表現しようとの思いから中・細字も数多く発表した。」とのこと。最近とみに線情に深みを加え、余白の響きが冴え渡る大字作品がトレードマークとなっているが、あえて正調の古典主義の「型」の大切さ、そこから抜けてこそ自分の「形」が出来るという黒田氏の思いが本個展に息づいている。
開催が楽しみだ。 (松原)

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何時しかもこの夜の明けむ鶯の 木伝ひ散らす梅の花見む(万葉集) — 黒田賢一
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かはづ鳴く甘南備河に影見えて 今か咲くらむ山吹の花(万葉集) — 黒田賢一
かはづ鳴く甘南備河に影見えて 今か咲くらむ山吹の花(万葉集)