平成29年度文化功労者顕彰
雨宮 敬子
平成29年度の文化勲章、文化功労者が10月24日に発表された。その中、文化勲章受章の洋画家・奥谷博氏と文化功労者顕彰の彫刻家・雨宮敬子氏の新作を紹介し、その快挙を祝したい。
「藝術無終」が座右の銘だと語る奥谷博氏は1934年高知県宿毛市の生まれ。この美しい海岸線と濃緑の山並みに包まれた町を離れて上京したのは53年、18歳の年である。東京藝術大学美術学部油画科在学中の58年、独立展に初入選。油画科4年に進級して林武に師事し、専攻科進学後も林武教室に籍を置いた。66年に第1回昭和会賞を受賞。同年、独立美術協会会員となる。その後、二度の渡仏を通じて「日本人が描く油絵」を模索し、薄塗りで鮮やかな色彩の対比を主調とする作風を確立した。
「生」と「死」をテーマに、抒情に流されないダイナミックな作品を描き続け、96年「月露」で日本藝術院賞を受賞し、同年に藝術院会員に。2007年、「世界遺産条約採択35周年記念奥谷博展―訪ねた世界遺産」をパリのユネスコ本部で開催し、同年、文化功労者に顕彰されている。今回の独立展では、最近始まったお孫さんを描いて「生」の本質に迫るアプローチが窺える。
一方、雨宮敬子氏は1931年、彫刻家の父・雨宮治郎の長女として東京に生まれた。物心つく頃には父のアトリエに出入りし、彫刻に使う粘土いじりをした。幼稚園児の頃から躾のために習わされた日本舞踊は戦時中の中断を除けば日本大学芸術学部美術学科彫刻専攻を卒業するまで続き、藤蔭流名取藤蔭美治として師範に。が、大学卒業の56年、日展に初入選。58年、63年と日展で特選を重ね、運命の糸に導かれるように彫刻家としての道を歩み始める。66年、日展会員に。83年中原悌二郎賞優秀賞、85年日展内閣総理大臣賞、90年には日展出品作「想秋」で日本藝術院賞を受賞し、94年に日本藝術院会員に就任した。
着衣や裸体の女性像、少女像など、自然で何げない所作が雨宮敬子作品の特徴だが、父・治郎の親友・加藤顕清から厳しく教えられたポーズの研究と、69年から15回にわたり三岸節子、片岡球子ら女性作家による「潮展」に参加したこと、そして長年親しんだ日本舞踊の内的美意識から生まれていると思われる。上掲作には平成時代を静かに追慕する作家の想いが宿る。 (松)
