蛭田二郎米寿記念展
『辿』TADORi 蛭田二郎と教え子たち
● 8月17日〜22日
● 岡山県天神山文化プラザ 第3・4展示室
岡山県天神山文化プラザ展示室提案事業の一環として、彫刻家・蛭田二郎氏の米寿記念展が「辿」TADORi
〜蛭田二郎と教え子たち〜と銘打って開催された。現在、蛭田氏は岡山市佐山にアトリエを構えておられるが、昭和8年茨城県北茨城市の生まれ。昭和33年茨城大学教育学部を卒業後小森邦夫氏に師事した。同年に日彫展に初入選、日展には昭和40年に初入選、その翌年に日展特選受賞という快挙を遂げている。47年岡山大学講師に(翌年助教授に、54年教授、平成7年名誉教授)。この頃に恐らく岡山へ転居されたのだろう。52年、ドナテッロのリアリズムに魅かれ渡欧、イタリアにおよそ2カ月程滞在して自身の彫刻の方向をさらに深めた。平成8年文部大臣賞受賞、13年には日本藝術院賞を受賞、そして17年に日本藝術院会員に就任された。
院賞受賞後、「ななこのArt interview」で筆者は娘と共に氏のアトリエを訪ねたことがある。その時の記事を少し抜粋する。『部屋に入って驚いた。ズラリと並べられたCD、大きなスピーカー。奥様が音楽の教員をしていたことで影響を受け、以来ショパン等クラシック音楽を聞きながら制作されているのだという。「音楽の詩情、美しさに心が解放されます。制作は孤独ですからね、孤独に耐えるっていうか。音楽を聞くことで自分を励ます事も出来ますし、やっぱり音楽はいいです」今はやりの音楽については「ガチャガチャしたのは体質に合わないのであまり聞きません。偏っているかもしれないけど、作家は偏ってていいと思うんです。」と自分なりのこだわりを持つことに誇りを持っておられる。音楽が人の心に何かを訴えかけて残すものであるように、彫刻もそうでありたいと願う先生の言葉が胸に響いた。』
あの頃の大きなスピーカーはまだ置いてあるのかな、音楽を聞きながらの制作は…。
今展には、蛭田氏の作品「聖家族−石膏/ブロンズ」「二羽−ブロンズ」「長い髪のトルソ−ブロンズ」の4点の他、19名の教え子たちの作品、日本藝術院会員・山田朝彦氏の賛助出品が並んだ。 「聖家族−石膏」を挙げたが、この滋味ある雰囲気が今も心に残る。
長年美術教育(彫刻)に関わってこられ、たくさんの学生に接してこられた蛭田氏だが、学生を同列に見る姿勢は今も変わらない。(松)
