書人探訪21 −出会いの旅−  文・田宮文平

 

 本欄に連載してきた「書人探訪21―出会いの旅」は、全日本美術新聞主幹の松原清氏の求めに応じて、昭和二桁世代の書人60名を限定して、都合60回、5年間にわたり執筆してきたものである。当初、5年間は長いかとおもったが、いまでは、あっという間に過ぎ去ったような気がする。かく言う筆者自身もこの間、5歳、齢をとったわけだ。  昭和二桁世代に絞ったのには、もちろん、意味がある。  
  第二次大戦後の書は、戦前から名のある尾上柴舟、豊道春海、鈴木翠軒、上田桑鳩らに加えて、西川寧、手島右卿、津金苟仙、日比野五鳳、さらには青山杉雨、赤羽雲庭、村上三島ら新世代が出現することで、今日の隆盛の基を築いた。そして、現在の書壇は、それらの門下の世代が、リーダーシップを確立している。これらの人びとは大正期から昭和一桁期の生まれである。  
  それでは、それを継承する世代は、どのようになっているのか、その一端でも探ってみようというのが、この連載の目的であった。そのために60回、60名をピックアップしたが、実際にはその倍数に近い候補者をリストアップした。  この60名の人たちの多くについては、わたしは、それなりの予備知識があり、改めて取材をしなくとも執筆できたとおもうが、本稿の目的からしても直接お目にかかって、知られざるエピソードにも迫まろうとした。そのために“秘話”を二、三はかならず伺うように努めたが、快く応じてくださったことに改めて感謝したい。

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  昭和二桁世代のはじめというと、つぎのような具合になる。  昭和10年(1935生まれ。池田桂鳳、江口大象、田村空谷  昭和11年(1936)生まれ。藤木正次、清水透石、鈴木春朝  昭和12年(1937)生まれ。新井光風、樽本樹邨、齋藤香坡、小川秀石、山下海堂  このあとは、とりあえず省略するが、昭和30年代の生まれで採りあげた人は中村伸夫、日比野実の二人である。そのほかは、すべて昭和20年代生まれの人ということになる。  昭和二桁世代に限定したとき、その本質論とは別に連載が終ったときにも全員が元気であることを願っていた。この号が発行される平成18年(2006)一月の時点で、もっとも早い昭和10年(1935)生まれが、満70歳なのであるから、現在の長寿社会からすれば、そう考えても別 に不思議はなかったはずである。ところが、この間、藤木正次、畑林耕陽、七澤象聲を喪ったのは痛恨の極みであった。    

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 第二次大戦後の書(壇)は、一口に言って教養階級から大衆社会へと移った。戦前は、「書(文字)」を熟せるような人は、ある意味で選ばれた人であったのである。しかし、戦後は義務教育の普及や、さらには高学歴時代を迎えて「文字」は万人のものになった。誰でもが、こころざせば書人になりうる時代になったのである。 20年代の書人で、正規の大学教育を受けた人と言えば尾上柴舟、西川寧くらいであった。これにつづくのが旧制中学、師範学校出身者で、そのほかの多くの人たちは偶然に書を習って大成したのである。  それが、今回、ランダムに選んだ60名のうち、結果として、およそ40名が大卒で、さらにその二分の一は、書を専攻するつもりで大学に通 っている。これは、昭和一桁世代までの人とは大きな相違点であろう。  
  これは、昭和二桁世代の人たちが、かならずしも書の教養で優っていることを保証することでないのは言うまでもない。しかし、今日の大卒の書人は、政治、経済、社会や歴史という社会常識を学んできている。書法系の大学を専攻した人ならば、書道史や書道美学も学んできている。この点は、明治、大正世代の書塾出身の書人とは大いに異なる点であろう。  
  かつて、日本画の世界などでよく言われたことだが、美校出は視野が広いが、技術では塾出身者に敵わない、ということが書の場合にも多かれ、少なかれ当てはまるにちがいない。  
  そのように考えると、昭和一桁世代までの書人に個性的な職人肌の人が多いのに対し、昭和二桁世代はオールラウンドで、よく言えば常識があると言うことであろう。これからは、一家の犠牲のうえに成り立つような天才の出現は考えにくい。   

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 この連載では、昭和10年代、20年代、30年代の世代間の相違が、どのくらいあるかも探ってみたいとおもった。それで同系統の書人で、同じような話になりがちの場合は、なるべく一人に絞って話を聞いた。その一方で池田桂鳳、土橋靖子、日比野実のケースのように名門日比野家の系統で、年代的に考えがどのように変わっていくかも興味深いとおもって取材した。実際、読んでいただけば分かるように年代によっても(環境もあるが)思考形態は大いに変わるのである。  池田桂鳳は、戦前の幼少期から日比野五鳳に就いた。もちろん、昭和のかなの名匠「日比野五鳳」が誕生する以前のことである。だから、池田桂鳳はある意味で日比野五鳳の書と共に歩んだとも言え、五鳳の書が大流行を来したときにも、その外形を追いかけるなどということはないのである。五鳳の書の歩み自体が、池田桂鳳のなかに滲みこんでいると言ってもよいであろう。だから、さすがの五鳳ブームが去ったとしても、池田の書が根本から変るはずはないのである。  一方、土橋靖子は、東京学芸大学書道科にすすむころ、はじめて、おじいちゃんとしてではなく偉大な書人として、五鳳の存在を意識するようになる。そして、五鳳はたとえば寸松庵色紙を学ぶとしても、こことここをという具合に重点を置くところに印をつけてくれるのである。ある意味で、ものごころついてからはエリート教育を受けたとも言えるであろう。  それが日比野実の世代になれば、祖父の偉大さを意識するのは、むしろ没後の方が大きいのではないだろうか。しかも、同じく住んだ京都の変貌も激しく、美意識に相異が生じたとしても不思議でない。しかも日比野実は、すでにIT社会の申し子のように育っている。  
  このように考えると、同系統の書人と言えども年代や環境によって、それぞれ、独自の育ち方をしていることが分かる。本書で解きあかしたかった点の一つでもある。    

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  この連載に当たっては、それが「全日本美術新聞」の紙上であることを意識し、書の新世代の思考形態を美術界に発信することが大きな目的の一つであった。従って、書壇だけに通 用することばはなるべく避けるようにしたが、そのことば無しには書けない場合はやむなく使用した。かつて、朝日新聞社に原稿を書いたとき、高卒程度で理解できるようにしてほしいという要望があった。わたし自身、若い時代に編集者をつとめて著者に随分、注文を出してきたのだから、それは当然だとおもった。しかし、たとえば「拓本」をもっと平易な別 のことばに置きかえてほしい、というのには正直、困まった。先方からは、たとえば「石摺り」などの代案が出たが、これは譲れない基本用語である。    

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 この連載が、松原主幹の好意で単行本化されることになった。あたかも全日本美術新聞社の創立20周年記念事業の一環となるというのでありがたいこととおもっている。各位 の一層のご協力を賜れば幸いである。

―神戸全美20周年企画記念展―
明日への夢展
「美を継ぐ者たち」・ 「昭和二桁世代の『現代書家』の素顔」
■6月22日(木)〜25日(日) ■兵庫県立美術館王子分館 原田の森ギャラリー(2階本館、西館)

 

 

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