書人探訪21 −出会いの旅−(60)     和中 簡堂    文・田宮文平

   

 

 
   


甄 陶 (第3回東瀛印社篆刻展)2005年

 和中簡堂は、昭和27年(1952)、福井県の生まれである。いま、日展会員、全日本篆刻連盟副理事長等に任じ、小林斗アン門の俊秀として、21世紀篆刻界のプリンス的存在である。  
  福井県は、福井新聞社の書初め展をはじめとして由来、習字教育の盛んなところである。  和中が小学四年のときの習字担当が、なかなか熱心な人で競書雑誌を20数種類もとっていたという。それで和中も『書林』(重本芸城)、『三楽』(松崎春川)、『書宗』(桑原翠邦)、『書香』(西山秋崖)等に投書して勉強した。中学時代には、地元の西山秋崖に就いたが、小学生として来ていたのが、いま、今井凌雪門で筑波大学助教授の中村伸夫である。西山先生は、なかなか話題作りの上手な人で、日書展(日本書道美術院)に出品するためにタテ8尺×ヨコ3尺などという大作を書かせた。すると、これに合う印が無い。それで「和中繁印」と3・5センチ角の白文印をはじめて彫って使った。 書林』誌には、篆刻部があって梅舒適が、課題と講評を担当していた。高校2年のとき、それに出品すると第二位 に選ばれて、「満更でもない」とおもった。たしか第一位は、佐々木鐵仙であった。それを機に二玄社の旧版『書道講座』や、小学館の『現代書道講座』の篆刻編を取り寄せて勉強した。  
  北陸高校時代には、趙之謙の篆書を臨書して県展学生部に出品し、県知事賞にも選ばれた。そんなことで将来の進路を考えているうちに、母校出身の白沢龍岳(当時、青山杉雨系)や藤原有仁(『書論』誌系)が教育実習にやってきて、いろいろ、相談すると大東文化大学や東京教育大学(現筑波大学)をすすめられた。

  

 

 

誡子如龍 
(第67回謙慎書道会展)2005年 

 大東文化大学へ行ったら、青山杉雨に就くように言われ、入学すると同郷の大島巍昂に連れられて学生部の「杉友会」に早速、入会した。青山杉雨の石鼓文の時代だった。青焼きで楷、行、草の基本を習い、ほかに折帖に行草を書いてくれた。三年目には隷書にすすみ、4年で一区切りつく形式になっていた。卒業後は、入社した二玄社の編集業務と時間的に両立しがたく、一般 部へは移らなかった。  
  大東文化大学は、板橋と東松山に校舎があり、1年生は東松山から入る。それで東松山に下宿したが、川越に友人がおり、よく尋ねているうちに、同市内の小林斗アンに入門を願い出る。「紹介がないと採らないのだが、熱心につづける気があるなら、まあ、遊びにおいでなさい。」ということになった。大学1年、昭和46年(1971)のことである。  
  はじめ、九成宮醴泉銘を原寸で臨書することを命じられた。それから呉昌碩、趙之謙、呉譲之等へすすんだ。印は、学生時代は専ら河井懿廬の模刻に過ごした。夏休み、冬休みでも模刻を10顆以上送らないと叱られたという。同門の先輩に笠原聖雲、内藤富卿らがおり、若い人も結構いたが、みなつづかず、2ヵ月休んだら “破門”だった。

     





  濟 衆 
(第39回有山社書道展)1998年

 二玄社へは、小林斗アンのすすめで、その年は新入社員は採らないというのを、ともかく面 接を受けて入ることになった。学生時代から小林斗アンが引き受けていた新版『書道講座』の篆刻編や、『懿廬印存』等の手伝いに行っていたのが役に立ったらしい。斗アン師の稽古は月一回だったが、毎週のように手伝いに行ったから、その都度、印も見てもらった。大学四年のときには、斗アン師が「漠南文庫」(横田実コレクション、産経新聞副社長)の印譜解題に関わることになり、これの手伝いは随分、勉強になった。  
  二玄社では、西島慎一編集部長、吉田洪崖編集長のもとで、『書道技法講座』、『拡大法書選集』、『中國篆刻叢刊』、そのほか字典類も担当、平成17年(2005)まで、都合30年間勤めた。うち編集長が12年間。わたしも若い時代に美術出版等に関わったからよく分かるのだが、編集者の行動範囲はまことに広く、通 常のサラリーマンでは到底、会えないような一流の人物に常に接することができる。若いときの修業には、これほどよい職業はないと、いまでもおもっているくらいである。和中簡堂の篆刻が、これからさらに飛躍するとき、編集者時代に培った人脈や修業が大いに力を発揮するにちがいない。  
  小林斗アン師からは常々、「おまえは、不器用なのだから古典をしっかりと学べ」と、繰り返して言われる。古典とはすなわち、古璽、漢印、呉譲之・趙之謙等である。普段の稽古は、印稿を書いていくことが中心で、ときに石と印影も持っていく。それを斗厘師は一刀両断にズバリと言われるので、そのプレッシャーは大変なものらしい。それでこそ、よい勉強ができるというものであろう。  
  和中簡堂は、平成15年(2003)に、主宰する「東瀛印社」を立ちあげた。瀛とは海のことで、東瀛はすなわち日本を意味する。和中は、中国の篆刻のメッカ西冷印社の名誉社員でもあるが、その「西」に対しての「東」の命名とすれば、その心意気には、まことに大きなものがあるにちがいない。

〈略 歴〉 
1952年生。   出身─福井県。師─小林斗アン。 日展会員。 読売書法会常任理事。謙慎書道会常任理事。
全日本篆刻連盟副理事長。東瀛印社主宰。

 

 

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