書人探訪21 −出会いの旅−(59)     日比野 実    文・田宮文平

   

 

 
   


野の花、山の花 〈帖・部分〉 (第34回日展 特選)2002年 

 近代、現代の書の名家と言えば、さしずめ柳田家(正齋、泰麓、泰雲)、小野家(鵞堂、成鵞、之鵞)、中村家(初世蘭台、二世蘭台、淳)などが想い出される。名のある人が、三代もつづくことは稀れなことであろう。  
  日比野家も五鳳、光鳳、それにいまや、実へとつづいて名家入りしつつあると言ってよい。そうした家に生まれ、育つことは、梨園の例もあるように恵まれたことでもあるが、その一方で、ご当人にとってはなかなか重圧でもあるのである。才能に秀でれば賞賛されるが、平凡であれば何かと陰口を囁かれかねない。しかし、名家と言われるほどの人は、それを撥ね除けて自己を確立してきたのである。  
  日比野実は、昭和35年(1960)生まれの文字通りの書壇期待の新世代である。すでに難関の日展特選を二度通 り、名門水穂会(会長 日比野光鳳)の継承が約束されているとも言えるであろう。その人が、どのように育ってきたのか、考えると興味深いものがある。  
  はじめて筆を持ったのは、四歳ごろかららしい。当時、父光鳳はまだ、会社勤めをしていて朝六時には出掛けた。祖父五鳳は子供は教えなかったので五鳳夫人、すなわち、おばあちゃんに見てもらった。しかし、手本は五鳳のスペシャル版で、教育書道的なものではなかった。五歳のとき、当時まだ、子供の部のあった水穂会展に『つき』と書いて出品し、五鳳から賞状をもらった。  
  父光鳳が、勤めをやめて専門家になってからは、手本を書くのを並べて、乾いたら重ねるのを手伝った。これが結構、勉強にもなったようだ。  
  中学時代は、書はまったくやらなかった。みずから書の暗黒時代だったと振りかえる。それでも五鳳、光鳳の二人とも何も言わなかったらしい。府立洛北高校時代は、芸術科書道があって長興会系の松根先生が担当だった。そのときの用筆を、いまでも点を打つたびに想い出すという。このころから家のこと(日比野五鳳という存在)を意識するようになった。

  

 

 

夏の光景  (第43回水穂書展)2005年 

 大学は、同志社大学文学部にすすみ、哲学および倫理学を専攻した。卒論は、カントの純粋理性批判だった。その一方でオーディオに凝り、長岡鉄男に惚れこんだ。音楽はビートルズにはまったのをきっかけにモダン・ジャズ、クラシック等、何でも聴いた。文学は、コナン・ドイル、アガサ・クリスティー、松本清張等、専らミステリー系統を乱読した。オーディオは、大阪朝日放送のラジオ副調整室に二、三年通 ったというから半端ではない。  
  同志社大学では中学校、高等学校の社会科免許を取得したが、卒業後、仏教大学通 信教育学部で、高校の書道科免許を取ったのは、「職業としての書」を就職がらみでも考えたかららしい。その後、京都教育大学付属高校、同志社大学、龍谷大学、花園大学、京都府立大学等の書道講師をつとめている。  
  そして、学校で書を教えるために漢字書系統も晋唐、北魏、宋代のものを研究するようになった。かなは高野切や寸松庵色紙等が中心だが、これも指導上から五鳳の好まなかった院政期の筆蹟も勉強するようにもなった。教えることは、学ぶことでもあるのだ。

     





  早   春   
(第33回 日本の書展)2005年

  昭和60年(1985)に祖父日比野五鳳が逝去した。いや応なく日比野家の歴史を考え、誰かが継がなくてはならないという状況を意識するようになった。そのこと自体は、かならずしも重圧には感じていないという。しかし、将来への不安はある。それは、書があまりに世間と遊離しつつあり、15年先、20年先まで考えると果 してどうなるのか。インターネットの時代には、京都の伝統すらあぶない。加えて、核家族が、文化の継承を断絶し、ときには破壊すらしてしまう。たしかに四季の床の間の掛け物を半分いたずしながらも幼少期から見て育つのと、そうでないのとでは当然、感性がちがってくる。よい、わるいの価値観だけで言うわけではないが、舞妓すらあっという間に “観光舞妓”になってしまう時代なのだ。京都に生まれ、京都に育った日比野実ならずとも、たしかに心配の種は尽きない。  
  そうは言っても、日比野実は、すでに日比野家三代という紛れもない現実の前に立っている。それで、ぐっと焦点を絞って当面 の課題を聞いてみると、意外にも紙のことが出てきた。目下、素紙を使いこなして深みのある線を出したいという。加工紙は、滲まないので初心者にも扱いやすい便宜もあるが、一面 では技術の進化をはばんでいる面があるともいう。  書の素材としては万葉、古今など、古い歌のよさが分かってきた。明治以降の歌人のは、歌自体は近代感覚でよいが、歌人自身の筆蹟が残っているので、どうしてもそれを意識してしまうらしい。  
  書壇の問題では、公募展改革をしなければ若い人が入ってこないのではないかとも。新世代として角界の貴の花のような問題提起ができるかどうか注目したい。

〈略 歴〉 
196年生。 出身─京都府。 師匠─日比野五鳳、光鳳。
日展委嘱。読売書法会常理。日本書芸院常理。水穂会副会長。

 

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