書人探訪21 −出会いの旅−(58)      桑 原 呂 翁    文・田宮文平

   

 

 
   
王羲之尺牘  (書宗院展)
        

 桑原呂翁は現在、厳父翠邦が創設した書宗院代表をつとめている。すべての出品作が半折大の条幅の臨書という珍しい書展である。  
  桑原翠邦は、比田井天来の高弟である。その天来が提唱したのは学書が師風伝承ではなく、あくまで古典によるべきということであった。それで天来の門人は徹底して漢魏晋唐、わが三筆等の古典を学んだが、作家としては上田桑鳩、大澤雅休、比田井南谷は前衛書へ、手島右卿は大字書(象書)、金子躾亭は近代詩文書へと、それぞれ自己のスタイルを確立した。そうした高弟のなかにあって桑原翠邦は一人、あくまで学書の方法論(臨書)に執念を燃やし、比田井天来、川谷尚亭らによって確立された近代書学を後世へと伝えようとしたのである。  
  桑原翠邦没後、書宗院の後継が議題になったとき、当初、桑原呂翁はこれを固く辞退したらしい。何が理由と審かにしなくとも、わたしも少しは名の知られた書家の家に生まれたから、その気持はよく分かる。言葉でなんか説明しきれないのである。しかし、結局、岩田文堂、浅沼一道、桑原呂翁三者の話し合いで決めることになり、代表という名目で引き受けざるを得なくなった。いわば、“梨園”に生まれた人の宿命かもしれない。

  

 

 色紙「まるくたいらか」 
(書宗院報/色紙・ハガキへの表現)

 実はわたしは、桑原千磨太(本名)に会う前から、その存在を知っていた。名門東京教育大学付属中学校の受験場に本人を送りこむと、厳父翠邦は近くのわたしの父の家を訪ねてきたのだ。そして、御酒が入って剣客同士の話がはずむと、たちまち時間は過ぎて、気がつけば、あたりはすでに暗くなっていた。もう試験場にいるはずがない。しかし、千磨太君は降りた大塚駅に父はかならず戻ってくると待っていたのである。これには、わが家で「親父も偉いが、息子はもっと偉い」と大いに話題にもなった。  
  こういう桑原呂翁に、いまさら、書との出会いを尋ねるなど、ヤボのようだが念のため聞いてみた。すると、三歳ぐらいのとき、家に掛っていた「白龍大神」というお札の龍という画数の多い文字が気になって盛んに書きまくったらしい。しかし、これは祟りがあるといけないというので、机の引出しにたまったものを焼いておわびをしたという。  厳父に朱で直されたのは、生涯に三度くらいで、一度は20歳ぐらいのとき散歩から帰ったら、机の上の書いたものに朱が入っていた。教育大付属時代は水島望鶴、上條信山に習った。特に高校時代、上條先生が折帖に「桑原千磨太」と九成宮風に書いてくれて、それをはじめとして上條流を習ったから、二二、三歳くらいまでそれがなかなか抜けなかった。  
  また、高校時代は書宗院の研究会にも出て、課題に出る争座位稿などを全臨して持っていくと、村上北海や伏見冲敬などが「この消したところの線がいいなあ」などと妙な褒め方をしてくれたともいう。厳父翠邦は、「(時代を下るのは)顔眞卿どまりにしなさい」というほかは特には何もいわなかったらしい。実際には伊墨卿や劉石庵なども好きで、古典に好き嫌いをつくらないようにつとめてきた。羲之系を習ったら、造像を手掛けるなどした。精習と多習を心掛けて、その日のはじめにはかならず「永和」の二文字を書いて、調子を慥めるという。これは、いわば定点観測にもなる。

     



水空流(現代書の父 比田井天来とその展開) 平成9年


  ところで、「呂翁」という号が変わっているので尋ねると、22、3歳のころジョルジュ・ルオーの絵が好きで自分でつけたという。はじめは渡辺沙躾に倣って「流躾」としたらしいが、カモメが流れるではおかしいので、「呂翁」としたが、加藤達成などからも相当の年寄とおもわれていたらしい。それで、50歳過ぎれば何とか名前に追いつくかと、がまんを決めこんできたというから不思議な人でもある。
 桑原呂翁は、厳父翠邦以来、ご縁のある天来記念館の館長を望月町が佐久市と合併する2005年3月までつとめた。この間、美術館々長会議なども経験し、日本の美術館の置かれた状況を身に沁みて体験した。造るときは厳父翠邦も長者番付にのるほど頒布して寄付したが、維持するのは本当に大変だということだ。記念館に因む地元の画沙会の講師は、いまも毎月つとめている。  
  この人はまた、『新美術新聞』に連載している『散人閑話』にみるように大変な読書家である。それも変幻自在、どこへ行くか分からない。レオナルド・ダ・ヴィンチからキリストの話になり、マグダナのマリアを追求し、友人の秦大猷のことから渡来人の秦氏のことになり、たちまち古代へと溯行する。とにかく、書でも絵画でも読書でも、決して決めつけない、固定観念を持たないというのが信条でもあるらしい。そう言えば、比田井天来は「オレに似た字を書くものにロクなものはいない」と言った。一個所にとどまり、固定観念を持てば、たちまち爛熟して腐るとも言った。桑原呂翁は、もしかしたら比田井天来が書で主張した柔軟な思考を生き方全般 に敷衍しているのかもしれない。

〈略 歴〉 
1939年生。  出身─東京都。 師─桑原翠邦。書宗院代表。
全日本書文化振興連盟会長。天来記念館前館長・画沙会講師。
  

 

top
書人探訪