書人探訪21 −出会いの旅−(57)      中 村 伸 男    文・田宮文平

    

 

 
   
張承吉詩  1999年
        
(第31回日展 特選)

 中国や韓国の書人と接すると、修士課程や博士課程を修めた人が結構多い。日本のように塾制度が発達しなかったこともあるであろうが、それだけに書作と書学、書思想の結びつきも強いようにおもわれる。  
  わたしの子供のころなどは、旧制大学出の書人と言えば尾上柴舟、西川寧ぐらいのものであったが、これからはわが国でも大学卒の書人が主流を占めるようになるのではないか。しかし、それにもかかわらず尾上柴舟や西川寧のように書と学問が両輪となるような人が少ないのは、やはり、塾の比重が高いからであろうか。  そんななかで、中村伸夫は、書と学問を両立させる新世代のエース格の人であろう。  
  福井県は、なかなか書の盛んなところで、小学三年から六年まで、西山秋崖の書塾へ通 った。しかし、中学、高校時代は専ら野球に熱をあげたらしい。その所為か、史学科をねらった大学受験は、みごと失敗して一浪をした。それだけに次に落ちたらというプレッシャーは、相当のものであった。理数が得意でなかったので、受験科目をマークすると、東京教育大学の芸術系には数学がなかった。筑波大学になる前の年で、卒業まで下級生はいなかったので、学年があがるとともにだんだん淋しくなったらしい。しかし、教授陣は今井凌雪、森田竹華、伏見冲敬、小林茂美、永井暁舟など、全盛期の熱気があった。  
  東京教育大学に合格すると、炭山南木門の厳父は「今井先生という雲の上のような人に習えるのだから」と感激して早速、手紙を書いてくれた。炭山南木は、今井凌雪の仲人で厳父も親しい関係にあったのであろう。それにしても肝心のご当人は、それまで炭山南木も今井凌雪の名も知らなかったというからおもしろい。そんなわけで一年生のときから今井凌雪主宰の雪心会の会員になったが、「一年生から主任教授の会に入るなんて」と言われて当惑したらしい。

  

 

 臨瓦当文 (芸術研究報・作品集9漢字書法近作選)1994年

 今井教授の方針は、一学年は全員が米慳を勉強することであった。米慳 を学ぶことで、筆というものをいかようにも操ることができるようになる。全員が蜀素帖を教材にした。二学年からは逆に自由で、「書を専攻して、自分のやりたいものが見つからないようではダメだ」とも言われた。それで龍門の造像記や、隷書は開通 褒斜道刻石、西狭頌など古隷風のものを専ら習った。  
  大学院は筑波に移って、中国語で受けた。教授陣は今井凌雪、村上翠亭、伊藤伸であった。新出土の篆書系の書に重点を置いて学んだが、特に今井教授は内山書店等で探し出してきた現代中国語の書論をテキストに講読を行った。これは、現在の自分たちの書に対する考えを慥かめる検証作業にもなった。  
  修士課程在学中、田中角栄首相による中国との国交正常化が行われ、つづいて大平首相時代の一九七九年、国費留学の制度ができた。学校の廊下を歩いていたら今井教授に呼びとめられ、「自分は戦争のため中国に留学できなかったが、キミは是非、受けてみたら」と言われた。それで、修士課程の途中で、一九七九年から一九八一年にかけて北京の中央美術学院に留学した。啓功先生が客員教授に任じていて、新発見の書資料をスライドを使って授業を行った。特に古代文字の書体の変遷に重点を置いたものだった。はじめ、啓功先生の生粋の北京語(江戸弁のようなものか)が、三分の一くらいしか分からなかったという。いろいろな譬え話やエピソードを交じえられたというから、バックグラウンドが分からなければ一層分かりにくかったであろう。  
  筑波大学に戻ると、天津から王学仲教授を招いたので、約半年間、同居しながら授業でも通 訳をつとめた。  筑波大学を出て30歳のとき福島大学教育学部の国語書道担当に任じたが、三三歳のとき今井教授の退官とともに母校の芸術学系を担当するようになった。現在、学部では漢字書の実技、書学方法論、中国語文献講読、修士課程では古代文字の書法研究や書作、博士課程では論文指導をしているというから結構、多忙にちがいない。

     



 臨米元章書 (芸術研究報・作品集9 漢字書法近作選) 
1997年


 中村伸夫には、『中国近代の書人たち』(二玄社刊、2000年)という注目すべき著作がある。これは、雑誌『墨』に呉昌碩以降、従来、わが国にほとんど紹介されることのなかった民国時代の書人を連載したものを基にしてまとめた貴重な論述である。北京留学時代に文物商店をこつこつと歩いて、書と文献を蒐めたものが土台になったという。  
  さて、最後に現在の書壇について聞くと、書塾、書展が、あまりに企業的に発達しすぎたことが、書本来の姿かどうか、疑問におもえるとも語る。そのヒエラルキーに若い世代はみな苦しんでいるし、これでは新しい人材が入って来にくい。かつて今井教授は卒業生のコンパの挨拶で、これからは日展に入るか、個展中心に行くかの覚悟が必要だと説いたという。「中村伸夫世代」が、公募展に片寄りすぎたヒエラルキーを、どう書本来の姿に戻すか、大いに期待したいものだ。

〈略歴〉 1955年生。 出身- 福井県。師-今井凌雪。日展委嘱。読売書法会常任理事。雪心会総務。
      筑波大学芸術学系助教授

 
  

 

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