書人探訪21 −出会いの旅−(56)      長谷川 鶴山    文・田宮文平

    

 

 
   
「山 さくら 花」 2004年 
        
志支し末の大和心を人とはヾ朝日二匂ふ山さくら花

 長谷川鶴山の生まれた備中総社市は、古代総社宮が置かれたところからその名があり、また、雪舟が修業したと伝えられる宝福寺もあるなど由緒のある土地である。  
  総社市には、日展常務理事をつとめた芸術院賞作家の高木聖鶴がおり、長谷川の厳父が同級生だったことから、小学一年生になると日曜日ごとに稽古に連れてゆかれたという。それは中学一年までで中断したが、大学一年の夏休みに長崎造船大学から帰省すると、厳父が再び、「字の上手なのは将来、損にはならんから、もう一度ちゃんと習ったら」と奨めてくれた。それで高木師に通 うと、内田鶴雲のテキストで、「いろは」の手本を書いてくれたが、このときはじめて「かな」の書を知った。半年ほどしたころ、高木師が新世代代表作家展(50歳まで)に出すという全懐紙四分の一ほどに九條武子の歌を書いた書を五枚見せて、どれがよいかと聞かれた。まだ、書がよく分かっていたわけではないが、直観で黄土色の料紙に書いたものが「いちばん」と言うと、師も「わしもこれがよいとおもっているんじゃ」と答えたという。  
  このとき、「もう船はやめた。書一本で行こう」とひらめいて文系の大学に移ろうと口にすると、師は「やめるな。ビリでもよいから卒業せよ」と言った。それから卒業まで、毎週通 信添削を受けたが、清書が直されて帰ってくるまで余程、待ち遠しかったらしい。


        

  

 

 

 

 

 

 

 

「 桜 」     

散万ヽヽ能事思比多 須桜可那     
2004年3月 

 長谷川鶴山は性来、直観の鋭い人らしく、大学を卒業して、たまたま骨董店を開いていた伯父のところへ行くと、橋本関雪画伯の画の真贋をやっていた。どうも感じるものがないので、長谷川が「これはニセモノや」と言うと、伯父は高く仕入れたのだから、「何を根拠に言うのや」と激怒した。「それならオマエ、京都へ鑑定に行ってこい」とも。それで恐いもの知らずに関雪邸を尋ねて見てもらうと案の定、贋物だった。  
  さて、高木聖鶴師からは、「いろは」にはじまって二年間ほど手本を書いてもらっていたが、その後は貫之集下の臨書をやり、さらに本阿弥切を「3年間で100臨せよ」と命じられた。早速、飯島春敬の書芸文化院のコロタイプ本を取り寄せ、とにかく本阿弥切の回転のリズムがマヒして分からなくなるまで臨書した。漸く100臨を達成した二五、六歳のころ高木師を訪ねると、たまたま机のうえに佐理の国申文帖の複製が置いてあり、それを見た瞬間「ハッと」感じるものがあった。師も「よいものに目をつけた」と言うので、それからは専ら佐理に取り組んだ。国申文帖にはじまって離洛帖、頭弁帖と片っ端から習ったが、なぜか、去夏帖だけは、どこか弱く感じられてあまりやらなかったという。これも長谷川鶴山らしい直観だったのであろう。  
  また、暫くして師の机の上にある光悦の書状を見て「ハッと」爽やかさを感じた。こうして大字かなは佐理と光悦が基盤となった。  
  平成12年(2000)、四九歳のとき、師から岡山高島屋のギャラリーで個展を開くよう命じられた。師から貴重な料紙を提供されたのはありがたかったが、同じものはないから精々、1枚から5枚程度で仕上げるという苦しい勉強をした。それまでは、たとえば日展作など、作品づくりに5、6日かけて、1日臨書するというペースを繰り返していたが、この個展の経験から、それを逆にして5、6日臨書して、1日作品づくりを試みるペースに変えた。たしかに、かな系の人は漢字系の画箋紙と異なって料紙は一枚しかないこともあるのだから、制作にかかる集中力に違いが出る。

     



 「秋歌」と利ヾヽに色あ者れ奈る秋草能… (第35回日展)2003年 


  40歳ころから書塾を開いて指導上からも漢字の必要があって唐太宗の温泉銘や晋祠銘等を書いたが、手本として書く以上にスケールの大きなヒラメキを感じて創作にも役立てた。王羲之は、大字かなには欠かせないと喪乱帖、孔侍中帖、それに淳化閣帖六、七、八を重点的に学んでいる。王羲之には、何もかもがそこから生まれるという「母性」を感じるという。だから落筆から走筆、終筆をしっかり見とどけるように習っている。古筆かなが、あれだけ細い線でありながら爆発的なエネルギーを内蔵しているのも結局、王羲之が元にあるからだとも。王羲之の臨書を中心に線を追求していると、古筆が極めて自然に書かれていることが、おのずと理解できるとも語る。  
  古筆は寸松庵色紙、一條攝政集、曼殊院本古今集、元永本古全集、針切等、いろいろ遍歴したが、やはり本阿弥切が、いちばん合うという。継色紙にはあまり熱中できず、関戸本古今集は、よいのが分かっているのに習っていると、だんだん苛立ってくるというから、これはもう感性の問題であろう。  
  制作中は、よくジャズを聞きながら書くという。スイング系、バラード系が好みらしいが、特にはビル・エバンスだという。ジャズ演奏にはシナリオの立たないフリーな部分があり、それがおもしろいらしい。いかにも新世代らしい発想に期待したいとおもう。

〈略歴〉 1950年生。 出身─岡山県。 師─高木聖鶴。日展会友。読売書法会理事。
      朝陽書道会副理事長(事務局長)。聖山社主宰。
 
  

 

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