書人探訪21 −出会いの旅−(50)     石 永 甲 峰    文・田宮文平

 

 



嘗 膽   (第31回日展 特選) 1999年

 財団法人ふくやま芸術文化振興財団が運営する「ふくやま書道美術館」は、栗原蘆水寄贈の中国明清時代の書画、文房四宝を基として、2003年8月に開館した。ここで指導主事をつとめているのが、栗原門下でもある石永甲峰である。   石永は、1997、1999年に日展の特選を得て委嘱になるまで、広島県内の高校の教員をしていた。しかし、いよいよ日展委嘱にもなって作家活動を本格化しようとすると、現在の高校教員は、あまりにも時間の拘束が厳しい。かつては、芸術科の教員は大目に見られたものだが、いまでは教師をとるか、作家活動をとるかを、どうしても迫られる。そんなとき、運よく栗原師から声がかかったのが、ふくやま書道美術館の職であった。  
  石永甲峰は、広島県立世羅高校二年のとき、将来の進路を決めるに当たって実家が農家でもあるので手堅く教員を志望した。数学も好きだったが、書道部で三宅相舟に教えを受けたことから書道に進みたいとおもうようになった。大東文化大学も念頭にあったが、農家では私学は無理なので、奈良教育大学にすすんだ。  
  大学では三宅相舟に習った関係で当初、かなを専攻しようとおもった。当時の教授陣は天石東村、平田華邑らで、学生も炭山南木、天石東村の神融会系が多かった。それで天石教授の臨書などを見ているうちに、次第に漢字系の書がおもしろくなってきた。

     

  李季衡詩   
(日本書芸院展) 
70×204×4幅
2004年


 大学三年のころには広島県に帰って教員になろうとの意志を、いよいよ固めていたが、一年先輩の福光幽石が、それなら同じ広島出身の栗原蘆水に師事したらどうかと誘ってくれた。栗原師は、まだ40歳そこそこで「人間ダンプ」と言われた、いちばん元気な時代であった。  
  栗原蘆水に就いて村上三島の長興会に入ると、「もっと筆を吊って書け」と言われる。神融会系では、それと反対だったから、なかなかうまく書けない。遂には村上三島からも「こいつはどこの系統や」と言われる始末だった。  
  しかし、栗原師は、できるだけ早く一人立ちさせようと考えてくれたらしい。とは言っても、なかなかおもうようには書けない。痺れを切らした栗原師が、「助けようか(手本のこと)」と言ってくれたが、「次までにまた、がんばってきますから」と、ぐっと堪えた。実は、手本をもらうお金もなかったのだ。それで、いろいろ集字したりして書いて行ったが、そんなに簡単にうまくいくはずがない。諸々事情の分かっていた師は、遂に参考手本だからと書いてもくれたのである。  
  ともかく王鐸を10数年、条幅の書をアレンジしたり、擬山園帖を自分流に単体にしたりして勉強した。また、王羲之、王獻之の書を王鐸風に連綿してみたり、さまざまに工夫し、取り組んでみた。シンプルなかたちの十七帖を王鐸風に連綿するのだから大変だった。  日展には、一九七八年に初入選、二四歳であった。王鐸調で巻子に書いたものを出品した。日展に七、八回入ったころ、こんどは師から連綿をやめてみろと言われた。それで木簡などに取り組んでみたが、どうしても自然に連綿してしまう。連綿だと虚の線にある程度、ごまかしが利くが、単体になると実にむずかしい。しかし、2、3年で何とか、単体の書をつかめるようになった。  
  そんなころ、こんどは師から米慳をやってみるか、と言われた。実は卒論は「王羲之と米慳 」だったから、もともと米慳は好きであった。1997年、第29回日展で一回目の特選になると、翌年は無鑑査なので、おもい切って米慳 の行書を基盤とした作を出品した。そんなわけで、ますます米慳にはまった。

    

          

                  正岡子規の句   (2004長興書展)  105×227


 王羲之は好きだし、やらなければとおもうが、どうしても法帖に刻されたものだから、ホンモノの線がなかなか見えてこない。それより米慳 、王鐸など王羲之をやってきた人の肉筆に親しみを覚える。これからは木簡とか、八大山人とかもやって、ときには、おもい切って冒険をしてみたいともいう。長興では筆に力を入れてはいけないと言われるが、畳の目が出るほど圧をかけた書もかきたいとも。  
  調和体については、漢字系の人の場合、かなを調和させることに不安を感じている人もいるが、幸いもともとかなを習っていたので自然に入って行ける。これから調和体の書に強味を発揮するのではないか。  
  趣味はと聞いたら、間髪を入れずに「釣り」という答えが返ってきた。磯も舟もやるという。何も考えない時間、一人切りになる時間が欲しいらしい。いまや、飛ぶ鳥落とす勢いの栗原門にあって華やかなイメージで見られがちだが、作家というものの内面 はそうそう単純ではないということだ。お金を沢山持っていて自由にできることもよいが、むしろ精神的には飢えた状態でやっていきたいとも。  
  幸いなことには、ふくやま書道美術館には、名品が日常的に沢山、存在する。それらを直接見ることを糧として、さらに方向転換していきたいというから楽しみである。

 

略 歴  1954年生。 出身-広島県。 師-栗原蘆水。
      日展委嘱。読売書法会常理。 日本書芸院常理。
      長興会理事。ふくやま書道美術館指導主事。

 

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