書人探訪21 −出会いの旅−(48)     石 澤 桐 雨    文・田宮文平



鳶 飛   (北翠展)2.7×16m  2004年 

 石澤桐雨は、鈴木翠軒の最後の門人である。それも弟子を取らなくなってから入門を許されたというのだから、それには説明が必要であろう。  鈴木翠軒は、昭和35年(1960)に日本芸術院会員となって日展常務理事に就任すると、全日本の立場に立つ人間が特定の社中を代表すべきでないと門を閉じ、稽古も中止してしまったのである。石澤桐雨が、その鈴木翠軒に入門を許されたのは、昭和42年(1967)、22歳のときであったのだから特別 である。  
  石澤桐雨は、10歳のとき翠軒系の高坂錦村の書塾へ通った。中学生のときの書道の授業では担任から「キミがわたしに代って書道の先生だよ」と言われたというから筋がよかったのであろう。しかし、少年時代にもっとも熱中したのは相撲で、土俵をつくることからはじめた。初代若の花の時代にスカウトも来たらしい。高校時代には相撲部と書道部に所属したが、やがて引き抜かれるように書に専念するようになった。文検あがりで、日本書道教育学会系の千葉聖峰に習ったが、千字文を暗記したり、書譜、和漢朗詠を徹底して臨書して古典に対する考え方を培った。「甲峰」という雅号もつけた。立正大学の書道展に雁塔聖教序を全臨して出品し、石橋湛山賞を受賞して、いよいよ、書に専心する気持になった。

     

  「万紅」 李賀詩三題   35cm(×3)×2.7m   2004年  

 高校を卒業すると、地元青森の書人で日展でも活躍する宮川翠雨に入門した。日展への出品は、昭和40年(1965)で、20歳のとき初入選した。このとき1回目は宮川師から手本をもらったが、翌年は自分で書いて出した。高校時代に自由に何でもやっていたから苦にならなかった。  
  昭和42年(1967)には、宮川師のすすめもあって厳父と二人で東京南平台の鈴木翠軒を訪ねた。そのとき書いて行ったものを見て「キミは天才だ。翠軒の真髄を教えよう」と手をとって空で書いてくれたりした。それで特別 に入門を許されたのである。わたしも若いときから翠軒翁に親しくしていただいたので、いかにも翠軒らしくそのときの風景が見えるような気がする。この年、宮川翠雨は日展菊華賞となり、石澤桐雨の出品した『万花』は、22歳にして特選候補にもなった。  
  その後も方向の異なる書いたものを何種類かずつ書いて行って教えを乞うようにした。古典に従ったもの、宮川師風のもの、自分なりのもの等々であったが、その都度、翠軒師の反応を見ながら勉強をすすめて行った。かなや浄瑠璃なども、よく説明してくれた。  
  とにかく、宮川師は鈴木翠軒の『醉客満船』あたりがベースで、石澤桐雨が翠軒師に就いたのは最晩年の『行人』の時代だから、結果 的に翠軒師の新旧の書風を同時に学ぶようにもなったのである。  
  石澤桐雨が、28歳のとき翠軒師から現代書道二十人展(朝日新聞社主催)を見に来るように言われて参上すると、一点ずつ説明してくれて、「翠軒年頭に当たり、キミにことばを贈る。キミはわたしの弟子で、もっとも目の利く、腕のたつ弟子である。あとを頼む」と言われたという。まさに人生は短く、芸術は長しということであろう。

                  

                   万葉歌  (北翠展)27 ×18


 
鈴木翠軒は、昭和46年(1971)に日展常務理事を退任すると、潔くやめて千紫会を創立して万紅展を開いた。石澤桐雨が千紫会のプリンスと言われるようになったのは、それから間もなくであろう。鈴木翠軒の長男草Z氏が事務局長をつとめていたが、亡くなると、平成10年(1998)には事務局長に任じて重要な役割を担うようになった。しかし、青森と東京の本部を往復するのは余程大変で、万葉集の書を5年ごとに五百首ずつ発表して8年で完成するという計画も平成5年(1993)に第一回展(東京セントラル美術館)を開いたのみになっている。  千紫会も翠軒師亡きあと金田心象、小暮青風、松下芝堂、市川光苑、横西霞亭、小名木東邨と継いできたが、金田、小暮、市川、横西はすでに亡く、松下は興文会に自立し、小名木は、平成16年(2004)の日展には当番であったが、健康上の理由で遂に出馬できなかった。  石澤桐雨は、平成16年(2004)に名門千紫会の理事長に任ずることになったが、前途はなかなか大変である。今後はトップとしての手腕も問われることになるわけだ。  事務局長を川口青澄にバトンタッチしたことで万葉集のライフワークも再開するようであるし、地元青森の主催する北翠展では、タテ2・7×ヨコ16メートルという大屏風に『鳶飛』の雄渾の超大字を揮毫して意気軒昂たることを示してもいる。所属する読売書法会では、調和体の検討委員をつとめるなど活躍もする。
  しかし、千紫会が日展、読売書法展に関わっていくとすれば、否が応でも、もう一つうえの関門を突破しなければならない。新世代のエースとしての活躍を切に祈らざるを得ない。

 

略 歴 1945年生。 青森県出身。 師-鈴木翠軒、宮川翠雨。読売書法会理事。千紫会理事長。北翠会主宰。

 

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