書人探訪21 −出会いの旅−(47)     阿部海鶴    文・田宮文平

 

2004年 六友書道展より

 いまや東北書壇の名物男ともいうべき阿部海鶴の地盤は仙台、石巻等である。それで意外なことにおもうかもしれないが、阿部海鶴の生まれは神奈川県横須賀市である。厳父阿部海秋は仙台出身の人であるが、当時、横須賀に住し、相澤春洋、松崎春川に私淑して戦前は泰東書道院展、戦後は日本書道美術院展等に出品していた。  
  阿部海鶴が長い間、拠り所としてきた石巻は、母堂の出身地で第二次大戦中、一家が疎開したからである。石巻は碑に使用する石材の有数の産地で石材問屋も多く、その関係か、厳父海秋は、80に余る記念碑の書を揮毫している。これが、暗黙裡に二世書家たる海鶴へのプレッシャーとなっていることも確かであろう。  
  しかし、阿部海鶴の二世書家への道程は、決して平坦であったわけではない。厳父海秋は、なかなか奔放に生きた人らしく酒をきらしたことはなかったという。それで海鶴が石巻高校を卒業するころ厳父が倒れ、これがため大学へすすむことも諦めざるを得なかった。厳父発行の雑誌も休刊、長男である海鶴は家計を助けるため、郵便局や東北パルプに職を求めた。  
  これで収まればよかったのだが、大学への夢を断たれて生活はだいぶ荒れたらしい。加えて血筋か酒びたりとなり、勘当同然に家を飛び出し上京したのが、22歳のときであった。はじめは当時、月賦デパートとして話題をあつめた緑屋の横浜店に勤務、つづいて東京新宿店に移った。それはよかったが、何しろ新宿は今も昔も東京を代表する盛り場である。田舎出の青年には余程、刺戟が多過ぎたようで、たちまち酒に入り浸りとなってしまった。いまでも肩で風を切るように歩くのは、そんな時代に身についたものか。もし、阿部海鶴に書への志が無かったならば、それで身を持ち崩してしまったかもしれない。  
  そんな東京での生活から足を洗い、石巻の実家に帰えったのは昭和41年(1966)、28歳のときであった。病身の厳父海秋を助けて書塾を開いたが、折から高度経済成長の時代で、何とか生活の基盤もできた。しかし、書に関しては厳父は何も教えてくれなかった。西川寧の作品集等を取り寄せて専ら独学に徹した。ともかく一人で書いて書いて書きまくった結果 、東北の書の登龍門である河北書道展(河北新報社主催)で、特選を8回、さらに漢字部最高賞を受賞して一歩一歩、自信を深めて行った。  
  そんなころだろうか、わたしは佐々木泰南主宰の臨泉展で、「阿部海鶴」という生きのいい書をかく人に注目しだした。佐々木泰南は青森県八戸出身の書人で、東北同士ということで、ご縁があったのかもしれない。しかし、そこも数年で姿を消して、連綿行草の魅力にひかれて、39歳のとき明石春浦の門を敲いたのであった。現在の阿部海鶴は軽妙自在の行草を得意としているが、これは明石師に学んだものでもあるが、天性の資質であるような気もする。事実、明石師は教えるよりも盗めと言ったのである。

     

  今日出城下…〈良寛〉  
(第55回毎日書道展)
2003 

 その阿部海鶴が、一躍して書壇的に脚光を浴びるのは、昭和五九年(一九八四)、毎日書道展が読売書法展と分裂した際、漢字部の再建のために金子鴎亭の呼びかけで、全東北書道連合六友会が結成されて以来である。明石春浦を会長に皆川雅舟、山田鳳仙、佐藤松堂、南奎雲、吉沢秀香らが結集したのである。元気者の阿部海鶴は、口八丁手八丁の旗振り役に任じた。現在は金子鴎亭、明石春浦も世を去り、皆川雅舟会長、阿部海鶴理事長(会長代行)の体制で、平成16年(2004)には、仙台で盛大な創立20周年記念展を開くに至った。また、平成17年(2005)の新春には、主宰する雑誌『日院』が、発刊500号を迎えるというので、記念品のために中国景徳鎮に出掛けて白磁の大皿280枚に呉須で書をかくという離れ業も熟してきた。  
  最近の雑誌『日院』を見ていると、得意の行草系だけでなく、楷書、隷書、篆書の古典研究や、近代詩文書にもなかなかの手腕を見せている。  
  阿部海鶴は、六友勢を率いて毎日書道展に1000点規模で貢献するとともに、長い間、毎日展の東北仙台展の実行委員長として活躍してきた。現在は顧問に任じているが、その手腕はいまに欠かせない。  
  そんなわけで毎日系の二一世紀の人材として嘱望されていて、それを自覚しているのか、東京にも神出鬼没に現れては情報蒐集にも余念がない。その行動力と本性の人の良さは定評のあるところだが、何しろ東北の “暴れん坊”の異名のある人でもある。二一世紀の指導者としての信頼性をどこまで固めるかは、この人にとっての大きな課題であろう。  同じ二世書家と言っても毛並みのよさだけで育ってきた人ではない。しかし、その青春彷徨が人間的にも成熟してきたとき、その書も一段と大きく華開くことを期待するものである。  



子どもと潜水夫と月と〈金子みすず詩〉
  (第4回日本六書展)2003 

 

略 歴 1940年。 神奈川県。 
     阿部海秋、明石春浦。毎日書道審査会員(評議員)、六友書道会理事長。日院書道会主宰。

 

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