書人探訪21 −出会いの旅−(46)     澤 江 抱 石    文・田宮文平

 

門 出   (第56回毎日書道展)2004年

 2004年はアテネであるが、毎回、オリンピックの年に四年ごとに澤江抱石と、埼玉 県立松山高校時代の教え子六名が「七匹書展」(ギャラリー東松山)を開いて三回目を迎える。数メートル規模の超大作を交じえて、1人が10点以上も出品するという壮大な書展である。中央書壇の公募展だけでは見誤りかねない現代書のエネルギーが存在する。  
  それにしても「七匹」とは妙な名であるが、これは松山高校ゆかりの比企郡に掛けたことばで、「匹」にはまた、仲間、同類という意味もある。比企郡は、もともと「文字の書けるような人間になれ」と習字教育の盛んなところであった。  
  澤江抱石は、昭和24年(1949)に島根県益田市に生まれた。書塾に通ったことはないが、母堂の「頭がわるくとも字が上手なら賢く見えるよ」の一言で、小学4、5、6年は学校の習字クラブに入った。中学は兄とともにバレーボールに熱中したが、先生に独立書人団会員の豊田大廓がおり、川瀬断魚主宰の『開眼』誌にも投書した。高校時代には豊田先生が非常勤で来ていて、全紙二、三枚の大作に挑戦したりもした。  
  もっともこのころは大学は工学部にすすんで設計や製図に携ろうとしたが、数学があまり得意でなかったらしく、国立なら東京学芸大学か、新潟大学の書道科のいずれかを選択したいとおもうようになった。母堂は書道を選ぶことや、学校が遠いこともあってだいぶ心配したらしい。  
  昭和43年(1968)、島根県立益田高校を卒業すると新潟大学書道専攻科へと進学した。当時の新潟大学は主任が石橋犀水教授、竹内臨川教授、三浦思雲助教授、加藤僖一講師等の布陣だった。加えて夏季の集中講義には加藤常賢、中田勇次郎、春名好重、小坂奇石、田中塊堂、今井凌雪、西谷卯木、中村淳等の錚々たる人が招かれた。加藤先生の金文を中心とする古代文字の講義には感動したという。  
  しかし、島根時代に習った長鋒、濃墨を熟す人はいなかったので、高田分校(上越教育大学)の玄潮会系の藤田朴雪に見てもらって、上越市展などに出品した。  
  卒業後は、島根県に帰り、益田高校、益田東高校の講師をつとめたが、周辺には年輩者が多く、刺戟も乏しかった。同年代で同郷の野津正樹などが、仲川恭司、片岡重和らの烏梯社で華々しく活躍するのを見るにつけ、上京を決意するに至った。昭和49年(1974)に上京して日本習字普及協会に入り、その後、埼玉 県の教員試験に合格して県立松山高校の非常勤講師(書道)に採用された。
 



(第3回七匹同人書展) 2004年

 上京を機会に何とか手島右卿に師事しようと、同郷の先輩である岸田大江、金津大潮に紹介を依頼したが、当時、手島右卿は体調を崩していて返事がもらえなかった。そんなとき、貞政少登の『鶴』、『破蠶』に感動して、この人ならばとおもった。たまたま、銀座の独立会員展で同郷の野津正樹に会うと、それなら直ぐ紹介するからと言った。当時、貞政少登は40歳そこそこで、まだ、弟子も少なく「ぼくみたいなものでよいのか」と言ったというからおもしろい。鄭羲下碑、王羲之、歐陽詢、 遂良、顔眞卿、空海等を徹底して習い、「腕をつくるのは40歳前、そのあとでは通 用しないよ」と、ハッパをかけられた。その後、一門の人も急速に増え、黒田光岳、大森哲など20歳代で、みな元気だったから、稽古の後など午前二時、三時ころまで酒を飲みながら議論を闘わせた。貞政社中の研墨会もやがて七〇名規模になり、合宿も大いに盛りあがった。  
  埼玉県立松山高校に赴任したのは、昭和50年(1975)、25歳のときであった。生徒と年齢の少ないこともあって、澤江抱石の書にかける情熱には感化する力があったようだ。放課後に書いて書いて、書きまくっていると、運動部の連中までが見にきた。細い超長鋒がみごとに立つのを見ると、どうして立つのか、と問いかけてもきた。澤江は、「何か一つ得意のものがあれば生きていける。筆を持つことで自分を表現できるし、仕事もできる」と言った。  



(第3回七匹同人書展) 2004年

 かくして七匹書展の教え子六名のうち、書道部からは2名、運動部等からは四名が大学で書道を専攻した。そして、いま、6名は、それぞれに教壇に立っている。石井健(東京学芸大学専任講師)、岡村鉄琴(新潟大学助教授)、小川呑海(埼玉 県立上尾橘高校教諭)、篠崎一開(埼玉県立熊谷西高校教諭)、清水鳩山(埼玉 県立川越高校教諭)、松崎礼文(埼玉県立富士見高校教諭)は、それぞれに書道の指導をしている。澤江先生の蒔いた種は、いま、大きく育っているのである。  
  これからの展望を聞くと、独立書人団では財団の組織にしばられない芸術論を積極的に展開して若手の活性化を計りたい。それに尊敬はしても、いつまでも手島右卿のコピーばかりでは仕方がないとも。澤江自身は、いま、日本画家横山操の若い時の豪宕の黒の線に魅せられて模索を繰りかえしている。

略 歴  1949年生。   出-島根県。 師-貞政少登。 毎日書道展審査会員。
      財団独立書人団評議員(事務局総務部長)。研墨会幹事長。

 

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