書人探訪21

−出会いの旅−(45)

田頭一舟

文・田宮文平




  第35回日展   特選    道    2003年

  

 田頭一舟、央ミ我は笹波会(会長桑田三舟)所属の双子の兄弟である。一舟は、すでに二回の日展特選を得て、関西では知らぬ 人はいない。ところが、先般、東京で「一舟さんは、いつ央ミ我と改号したの?」と聞かれたという。二人が、あまりに似ているので同一人と錯覚したのであろう。  
 
それでインタビューの最初に、どう見分けたらいいのか尋ねると、「最近は弟は、ほとんど黒を基調とした服を着ていて、わたしは、そのときどきだから、それで分かりますよ。」との答えが返ってきた。「もしホクロなら わたしが向かって右、弟の央 は左。」とも。これだけ知っていれば間違いない。  
  田頭一舟は、桑田三舟の長女の明子さんと学生のときから交際していて、二七歳のとき結婚した。しかし、そのときは家業のサンダル(ケミカルシューズ)製造業に従事していて、書で身を立てることなど、まったく考えていなかったという。  
  書は、小学三年から五年にかけて桑田三舟が、福山に出稽古に来ていて習った。その後、三舟が来なくなったので中断していたが、中学校に入って村上俄山に授業で習った。しかし、このころは専ら野球、テニスに熱中していて、書は関心の外にあった。それが、高校二年のとき、たまたま、駅で村上先生に再会して、
「もし、稽古に行くなら車を買ってあげる。」との厳父のことばにつられて、姉を含めて3人で通 うことになった。  
  その厳父が、一舟36歳のときに亡くなると、家業は弟に譲って、書のプロとして立とうと決心して義父の桑田三舟に相談に行くと、「筆一本で生活するなんて冗談じゃない」とおこられたらしい。それまでも村上俄山に習っていたが、プロで立つとなれば漢字もやらなければと、たまたま、三蘆華展(桑田三舟、栗原蘆水、大楽華雪の三人展)の事務を手伝っていた縁で栗原蘆水に入門した。そんなわけで桑田三舟に改めて正式に入門するのは、その二年後で、その際、それまで本名の田頭節夫を一舟と改号した。従って、2003年11月に栗原蘆水に「もういいじゃないか」と言われるまで漢字も習っていた。いまは栗原蘆水に就いたことのない弟の央 の方が、ときに栗原風の字を書くのは兄弟の影響だろうか。

紅 (第28回書道笹波会展)平成16年5月

 さて、桑田三舟に就いて、何を習うかと聞かれたので、「気宇の大きいものを」と言ったら、漢字は于右任の臨書ばかりやらされた。40歳までは自由にさせてくれたが、それ以後、急に厳しくなったという。桑田三舟にしてみれば、その間、果 たしてモノになるかどうか様子を見ていたのではないだろうか。一條攝政集、香紙切などによるハード・トレーニングがはじまったのである。  ところで桑田家と言えば、「料紙は書家の家」と言った笹舟以来、これを抜きにかな芸術を語るわけにはいかない。桑田笹舟畢生の代表作である『日月屏風』六曲一双をはじめとして、晩年の大個展は、ことごとく自製の加工紙によっているのである。  
  田頭一舟にとって幸いであったのは、村上俄山に就いた高校時代から料紙への興味を培ったことであろう。結婚以来、笹舟は祖父であったわけであるが、その実際に触れるのは、やはり三舟師に入門してからである。桑田笹舟『義経千本桜』(国立劇場)の料紙をつくるのを見せてもらったが、老大家が若い人間でも思いつかないような新鮮な手法を駆使するのに喫驚したという。その後、源氏物語、更級日記、伊勢物語等の料紙製作を手伝うことができた。  
  そうして、こんどは一舟自身がつくった料紙を見てもらうと、「福山では金銀で風呂を焚くのか」と言われたという。失敗した紙を燃やすからである。「金銀を使えばよいというものではない」とも指摘された。  
  田頭一舟の子の和舟は、京都橘女子大学で吉川蕉仙、横山煌平教授に学んで、現在、読売書法会評議員でもあるが、桑田家の料紙づくりの伝統を担うようになった。それで桑田三舟は、一舟にも見せないことを和舟には教えこんでいるらしい。それだけ血は濃いということか。  
  笹波会では、伝統の料紙製作のほかに、調和体などには、新料紙(創作料紙)の試みをしている。これは顔料に替わってアクリル絵具なども大胆に用いるもので、いわば一品製作である。現在の額装の大作化のなかで、ともすれば、かな系の書に色彩 の無くなってしまうのを惜しんでのことである。  
  いま、田頭一舟は2回の日展特選を通過して、笹舟会の副理事長兼事務局長という重責を担っている。桑田三舟会長を支えて、伝統ある笹波会をいかに次世代に継承していくかが、これからの大きな仕事と語る。三舟師の芸術院賞に当たっては常に身辺にあって大家の人たちに巡り会ったが、このときの経験が人間的にも大きなプラスになったようだ。  
  2005年の秋には、東京と神戸で桑田三舟師が大個展を開く。一舟自身も福山で個展を計画しているという。笹波のかなの本領をいよいよ問うことになる。


暁   2003年6月  

 

 

 

〈 略歴 〉
1949年生。 
出身 
広島県。 
師  桑田三舟。
日展無鑑査。読売書法会理事。
日本書芸院理事。笹波会副理事長(事務局長)。
包一会主宰。


     

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