書人探訪21

−出会いの旅−(44)

勝瀬景流

文・田宮文平




  第35回日展  山 桜  〈2003〉

  

 勝瀬景流は現在、日展委嘱、読売書法会常任理事をつとめる新世代のかな作家である。本拠は内田鶴雲が創設し、高木聖鶴が会長をつとめる岡山の朝陽書道会であるが、この人の神出鬼没振りには、ときに驚かされることがある。すなわち、大阪の尾崎邑鵬主宰の由源展に出品しているかとおもうと、東京の日本書道学院(院長石川芳雲)で、ばったり会ったりする。  
  こんな風に書くと、あちこち渡り歩いた人のイメージを持たれるかもしれないが、実はそうではなく、書人としての育ち方に関わることなのである。  勝瀬景流は、徳島県の生まれであるが、厳父が戦死したために専ら祖父の手で育てられた。おじいちゃん子である。この祖父が絵ごころのあった人で、五歳のときから画を習った。やがて、その画才は近所でも評判になるほどで、勝瀬自身も画家になろうと秘かにおもったという。ところが、画の腕があがるにつれて就いていた先生から直されることも多くなった。折角、スケッチを持っていっても「あの樹はいらない、この人はいらない」という具合であったらしい。勝瀬にしてみれば、実景としてあったから描いたので、ということは「ウソを書け」ということなのかとさえおもったという。このあたり絵画に限らず、指導というものの難しさでもあるだろう。先生には先生なりの考えがあったにちがいないからだ。  
  そんなころ中学の担任に独立書人団系の玉有崇峰という熱心な先生がいて、書に関心を持つようになった。その流れで同じ独立系の青木香流が主宰する『書燈』誌を取るようになり、通 信教育も受けた。当時、青木香流は『ゆき(草野心平詩)』や『つばめの宙がへり』の近代詩文書系の書人として売り出し中であった。それで勝瀬景流も一九歳のとき、島崎藤村の詩を書いて毎日書道展への初入選を果 した。そんな創作的なことができたのも実は、一三歳のときからはじめたペン習字で慣れていたからであった。  
  ペン習字は、その草分けの一人ともいうべき三上秋果が主宰する日本ペン習字研究会の『ペンの光』に投書し、一八歳で師範、20歳で審査員に擬せられた。このとき互いに技を競ったのが、現在、日本書道学院々長をつとめる石川芳雲である。  
  ペン習字を習っているうちに本格的にかなを学ぶ必要を感じて取り寄せたのが、安東聖空主幹の『正筆』誌である。その同人の一人であった高木聖鶴に手本をお願いしたら「一度

第28回日展  特選   雲  (1996)

、家に遊びにいらっしゃい」ということになった。昭和四三年(1968)、勝瀬は二四歳であった。それで岡山県総社市の高木聖鶴を訪ねると、親切に諸々教えてくれたうえに泊まっていけということになった。翌日も途中まで送ってくれた。勝瀬は二度とは来ないかもしれないと思って、周囲の景色を目に焼きつけながら歩いていると、高木先生はマッチ箱くらいに小さく見えるまで、なお、見送ってくれたという。これにはすっかり感激して帰宅すると即刻、入門を申し出た。かくして月に1回、四国から稽古に通 ったが、高木先生は手本は書かない、書いていったものも朱では直さないという人だった。関戸古今、本阿弥切、針切などの古筆から、かなの土台には漢字も必要だからと唐の毳遂良から明の倪元孟などまで、いろいろと見てもらった。この時代の裏づけを高木聖鶴にとると、「いちばん勉強したのは和泉式部じゃないかな。いまもそれが土台になっているとおもうよ」という答えが返ってきた。  
  尾崎邑鵬との出会いは、昭和四五、六年ころ『由源』誌にかな部をつくりたいから手本を書いてほしいというものであった。まだ、日展にも入っていないからと一度は辞退したが、ともかく書くようになって縁ができた。  勝瀬景流の世界が、ぐんと広がったのは、昭和54年(1979)誕生の社団法人日本かな書道会(会長安東聖空、理事長宮本竹逕)で、四国地区の責任者になったことである。講習会、講演会の会場設定など大変だったが、師匠の高木聖鶴はもちろん、宮本竹逕、杉岡華邨、榎倉香邨、中村龍石、坪井正庵、東山一郎、山下荻舟、古久保泰石、池田桂鳳等々の錚々たる人びとと親しく接することのできたことである。これによって書についての視野を随分と広めることができた。そのような意味でも日本かな書道会の運動は、かなを全国に広めることに絶大の働きをしたのである。  
  日展には34歳で初入選、以後一八回入って二回の特選へとつなげた。朝陽書道会では法元康州、林春月につづく快挙であった。  いま、勝瀬景流は徳島で、一門の光輪社を主宰し、すでに三五回展を迎える。また、全国から2000人規模の人が集まる現代書道連盟をまとめて二五回の競書大会も開いている。そして交流と懇親を兼ねて旅行会等を催し、これは国内はもとよりカナダ、タイ、中国各地におよぶという。ともかく、これからは若い人たちも参加しやすいよう環境づくりが大事と主張する。新世代の新しい考え方に期待したい。


第34回 日展  

 花  
(2002) 

 

 

〈 略歴 〉
1941年生。 
生  徳島県。 
師 高木聖鶴。
日展委嘱。読売書法会常理。
日本書芸院常理。朝陽書道会理事長。光輪社主宰。

 



     

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