書人探訪21

−出会いの旅−(41)

藤 波 艸 心

文・田宮文平


現 在

朝聞書展(2000)

 藤波艸心は、2004年3月にフランス人のワヤット・レイモンドと「書と映像のランコントル/こころの詩」展(東京銀座竹川画廊)を開いた。レイモンドは、テノール歌手で写 真家、日本美術の蒐集家でもある。二人は過去にもフランス、スイス、ドイツ、東京で書と映像展を開いているが、今回は、レイモンドのヴェネチアの写 真に藤波艸心が共作するテーマとなった。  
  そもそも二人が出会ったのは、1983年1月13日だった。その日は藤波の子息の誕生日だったが、かつて銀座のゆふきや画廊で知りあった画家のブロック ・クラインがレイモンドを連れて藤波の家にやってきたのである。このころ藤波艸心は、『浜田庄司の肖像』という書を、金文の目、手、口で書いたりして浜田の民芸に影響を受けていたらしい。  
  藤波宅で艸心の書を見たレイモンドは、売ってほしいと言ったが、売らなかった。それから暫くしてレイモンドが写 真を送ってきて書と映像の二人展を提案してきたのだった。以来、二人展は、十数回にもおよんでいる。  
  藤波艸心は、山梨県の出身である。そこでは村の習慣で、12月30日に大人が餅搗きをしている間に、子供たちは書初めをして近所に配って神棚に飾ってもらうのだという。これを正月十五日まで貼っておいてドンド焼きで燃やした。そんな子供時代に藤波艸心は書の魅力に取りつかれたのであった。  

 



ゴンドラの詩  〈共作〉  (2004)

 高等学校は、いまや、作家の林真理子で一躍有名になった県立日川高校にすすんだが、そこに教師としていたのが、若き日の金井昭堂(東方書道院同人)である。その時代には顔真 の争座位 帖などを専ら習って、学園祭では書で埋め尽くしたりした。  
  ある日、ライシャワー大使が学校にやってきて「若者に自由を与える」という講演をしたが、そのお礼に差し出したのが、藤波の半折の書であった。それで気をよくした藤波はライシャワー大使に手紙を書き、アメリカへの留学を希望したが、まだ、ドルが自由には使えない時代で適わなかった。それなら書道にすすむしかないと、金井先生に相談すると、松井如流と殿村藍田の書を見せて、どちらに就きたいかと言った。それで松井如流を選ぶと早速、紹介してくれて、高貞碑を折帖風に折った半折十枚ほどに書いて会いに行った。松井如流は、それを見て「まだまだだね」と言ったが、ともかく入門は許してくれたのであった。  
  大東文化大学日本文学科にすすんだのは、松井如流が書の教授をしていたこともあったのであろうが、国文学の佐伯梅友、岩田九郎などの名物教授が揃っていたことも大きかったようだ。当時、書関係では真田但馬を主任教授に熊谷恒子、上條信山、青山杉雨、今関脩竹の錚々たる教授陣がいたが、藤波は書道部にもほとんど顔を出さず、専ら仲間と石鼓文の研究などに打ちこんだ。それで図書室に一冊だけあった金文篇などを藤田金治と奪い合ったりした。これが、藤波艸心の今日にもつづく古代文字の書のはじめで、大学四年のときには、毎日展に『好』一字を書いて出品した。以後、毎日展には女ヘンの文字を出しつづけているというから変わっている。そして、昭和四十年代の始めには、東方書道展に『怒濤』、東京書道会展には『山静』の古代文字の大作を出品して注目されるようになった。  
  大学を卒業すると東横学園に職を得て、それは今日もつづいているが、毎日展、東方展、東京展の公募展に出す一方、早くから銀座ゆふきや画廊、竹川画廊で個展活動をはじめた。これには結構、風当たりもあったらしいが、松井如流は大いにバックアップしてくれたようだ。  このように藤波艸心は、松井如流師を慕いながらも、ワヤット・レイモンドとの二人展など独自の制作活動をつづけてきた。いわゆる書壇の常識には縛られない生き方をしてきたわけだが、それを象徴するのが、平成七年(1995)に発表した『その日ひろしま』であろう。これは、タテ155×ヨコ100センチの板四枚をつなげて一面 とした巨大な作品で、古代文字の図象を彫りつけ、緑青、赤などの顔料を塗って原爆の悲惨さを訴えたものである。わたしはピカソのゲルニカにも匹敵する記念碑的な立体作品だとおもっているが、まだ東京国立近代美術館に収蔵されるに至っていない。  
  また、藤波艸心の書活動で、もう一つ忘れられないのが、言語障害をもつ瀬崎龍彦君を七歳のときから二十年以上にもわたって指導していることである。瀬崎君は、はじめ姉が通 っていた関係で、藤波夫人が開いていた書道教室に入ってきたのであった。藤波艸心は、たまたま瀬崎君の書いたものを見て、他の子供たちの書いているものと、まったく異なることに気がついて、これは「心画ではないか」とおもったという。それは常識の入り得ない曇りのない表現であったからだ。ご両親の理解も得て大学にやらない代りにと、アートガーデンかわさきや、銀座の竹川画廊などですでに数回の個展を開いている。これも藤波艸心が、書壇の常識に囚われない〈目〉をもっているからであろう。





その日ひろしま   (1995) 155×400cm

 
 
〈略歴〉
1944年生。 山梨県。 
師-松井如流。
毎日展審査会員。東方書道院同人。
朝聞会会員、東京書道会審査員。
泉会代表。


     

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