書人探訪21

  -出会いの旅- (34)

   横 山 煌 平

     文・田宮文平

   
        橘 香  [第34回日展]2002

 

 藤原佐理を基盤として、昭和30年代半ばに日展等に尖鋭のかな書をつぎつぎに発表して、いまや“書のピカソ”とも称されるようになった深山龍洞の生誕100年展が、神戸市立博物館で収蔵品による企画展として開かれたが(9月6日〜10月19日)、その高弟の一人が、この横山煌平である。  
  横山煌平の厳父は、書画の好きな教員で、師範学校では宇野雪村と同級だった。その宇野雪村が、横山煌平の入学した神戸市立二葉小学校におり、そこはあたかも書のメッカのようであった。そんなわけで横山の書に対する関心は、幼少のころから身についたようだ。県立兵庫高等学校にすすむと、そこには難波祥洞がつとめていて、横山が高校三年生のときにその師匠である深山龍洞に入門した。授業でもクラブ活動でも漢字、かなの別 なく臨書して勉強したが、桑田笹舟が主宰する一楽書芸院の機関誌『書芸公論』に競書も盛んに出品した。そして、この頃にはもう書道を専攻したいと考えるようになった。  それで奈良学芸大学にすすんだが、教授陣は小坂奇石、谷辺橘南を中心に乾健堂、田中塊堂、梅舒適らが出講していた。小坂奇石は、名にし負う直筆蔵鋒一辺倒の人である。それに対して深山龍洞は、ときに側筆でもあった。小坂先生は徹底した鍛練主義で、とにかく勁い線を引けと指導する。十七帖など王羲之系と、顔眞 などを習ったが、それに馴染めなかった一学年のときは、線が軽いと成績は可をつけられた。しかし、この時代に直筆蔵鋒で鍛えられたことは、いまにしてよかったと回顧する。  
  大学ではいろいろ揉まれて抵抗もしたが、一方、深山龍洞師の側筆や、理知的な書作にも反発した。一楽系の基本である関戸本古今集はもちろん、高野切第三種や寸松庵色紙等を習ったが、十五番歌合、秋萩帖から良寛にまでおよんだ。大学卒業のころは、師に対する反発も極みに達したらしく、西行系の古筆に専ら傾斜した。しかし、横山にとって幸いであったのは、変わったことをして行くと師は笑っていたが、ときには喜んで励ましてくれることもあった。基本を踏まえたうえで独自の道を求めることは桑田笹舟以来、一楽系の伝統でもあったからだ。
 大学を卒業したころ一楽系では、アクの強い大字かなが流行で、これにも肌が合わず、逆に清々しいもの、簡潔なもの、爽快なものを指向した。それでおのずと西行系に加えて高野切第三種や、小坂奇石の格調の高さを求めたりした。現代作家では一楽系の山本御舟、村上翠亭らに憧れた。また、日比野五鳳にも強く引かれて、夜行特急の銀河で日展を見に行っては特大のブロマイドを入手して、懸命に習った。とにかく一楽的なごちゃごちゃしたものには当時、徹底して反発したという。  
 

 

  現在の横山煌平のかなは、ブランクーシの絵のように鋭く刃物で切ったようなタッチが特徴である。その源流は西行系の古筆にあるであろうが、三〇歳代には加工紙を嫌って専ら素紙を用いたという。それで用筆に自然スピードもつき、切れ味も鋭くなった。そんな清冽なひびきを漢字系の青山杉雨が支持したというのも頷けるような気がする。  いま、横山煌平は小山素洞とともに深山龍洞の遺志を継ぐように一先会を新しく立ちあげて、その理事長の職にある。その趣意は、ともすれば安易に手本主義に走りがちの風潮を排し、臨書から倣書へ、そして創作へという桑田笹舟、深山龍洞へと脈々と伝えられてきた一楽精神を再確認することにあるようだ。それについて改めて尋ねると、臨書から倣書への道筋も、機械的にレールに乗っかるようにすすめれば、かえって弱くなってしまうことも注意しなければならないという。ときには道草も認めるぐらいでないと、大胆なものや、個性的なものは生まれない。それを聞いていると、かつて深山龍洞や小坂奇石らに反発してきたみずからの軌跡をおもいおこしているような気がした。いまにして深山龍洞師の古典の骨格や造形力、そうした知と情がからまった世界が理解できるようにもなってきたと語りもするのである。  
  それで、いま、もっとも興味を抱いている古筆は?と尋ねると高野切第一種や継色紙かなともいう。ただ、それを直線的に習うというのではなく、それらをイメージに置きながら少しずつ自己の世界をつくっていきたいらしい。漢字系では何と言っても王羲之で、王鐸のようなテクニックの勝ったものは好きでない。そして、窮極的には良寛的な世界をおもい描いているようだ。そうなれば漢字もかなも自在ということになるが、調和体について尋ねると、時代の要請であることは重々わかっているが、ともすれば鍛練が不足がちになったり、思いつきに走りがちと現状を鋭く批判する。漢字とかなが、本当に調和している人は凄いと認める。いまはその点、かな系には弱いところもあるし、かなの独自性がともすれば認められていないとも。   ともかく、いま注目のかな界の新世代人として、独自の美意識をもち、また、学殖も深いので大いに活躍を期待したい。

 

〈略歴〉1941年生 
   
(出身)兵庫県。
   
(師)深山龍洞。
     日展会員。
     読売書法展常任理事。
     一先会理事長。
     京都橘女子大学教授。

 

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