一蘭社書展より

 

主宰

宮重 小蘭

 

 かつて読売閨秀展の花盛りの昭和63年頃、関西の女流に宮重ありという声を聞いたのが宮重小蘭さんを知った始まりで、ちょうど2回目の日展特選を受賞された翌年と記憶する。
 宮重(旧姓神田)さんが書壇に登場するのは驚くほど早い。旧芦屋女学校の書道科で抜群の成績を修め、担当教師からその後任に推されて否応なしに教壇に立つことになり、その指導法の相談のため訪れた先が深山龍洞であったと聞く。21歳であった。尊敬する師を得て、その才能は一気に開花する。「性来の聡明さに加えて、教職の立場から来る責任感と、異常なまでの努力によって書技の点では恐ろしい程の進境を示した」とは龍洞師の言。26歳で関西女流展の審査員に辻本史邑の肝いりで推挙された。以降、結婚と育児で5年のブランクを持ったが、京大哲学科卒の夫の書活動への理解と応援に支えられ、より大きく飛躍。昭和32年の日展初入選から連続入選、昭和46年毎日展初出品で毎日賞受賞(翌年も)、書壇記者クラブゴールデンリボン賞、昭和51年に毎日展会員となった。毎日が読売と二分した後、閨秀展が開催されたのは宮重さんの1回目の日展特選受賞の年、昭和59年であった。それから25年、日展会員となり、審査員に2回就任するが、宮重さんの書に対するスタンスは堂々として今も変わらない。書線の切れも大胆さの中に繊細さを内包するものとなり、より奥深くなっている。一蘭社として初の東京展に展示された20点がそれを証明している。(松)

 

 

 

 

あしびきの… 他二首  軸

春ははな…  二曲屏風

 

山をでてはじめて高し雲の峰  額