菅原石廬篆刻展
日展初入選作から新作まで約120点を展観
■ 平成16年8月12日(木)〜17日(火)
■銀座「GINZA TANAKA HALL」
5階全ホール(田中貴金属ジュエリー)
東京都中央区銀座1-7-7
日展評議員の菅原石廬氏が初個展を銀座で開催する。篆刻界ではその名を知られた菅原氏だが、師弟の縦系列の強い書道界にあっては個展は個人の意思だけでは開催できない世界でもあり、折しも古稀に於ての初めての個展となった。
氏は、昭和9年神奈川の生まれ。当初から篆刻に興味を持っていたのだろう、小林斗厘氏に師事したのが19歳の時で、翌年の日展にいきなり初入選を果たしている。誕生日前だから20歳での日展デビューであった。そして若干26歳で特選を受賞しているから驚きである。師の斗厘氏が2度目の特選をとったその2年後に受賞しているのだから、その凄さは自ずと知れよう。
また、今回はじめて知ったことだが、石廬氏は篆刻と同時に彫刻を本格的に学んでいた。プロフィールに記載しなかったが、小林斗厘氏に師事した翌年に朝倉文夫翁に師事。朝倉文夫は正に彫刻界の頂点(芸術院会員・文化勲章)に在った作家で、石廬氏は23歳で日展彫刻部初入選、以降10回の入選を重ねており、篆刻で特選受賞の年、日彫展でも日彫賞受賞(翌年も連続受賞)、日展のふたつのジャンルで入選を続けるという離れ業を成し遂げている。どちらの道をとるべきか、恐らく石廬氏は悩んだことであろう。本人が良くても日展という枠組みがそれを許すはずがないからである。そんなおり、朝倉翁が急性骨髄性白血病で急逝される。昭和39年であった。通常師が亡くなると師系の兄弟子に自然に移行するが、何回かの禊の日展彫刻出品の後、篆刻一筋と決め、そうした迷いを振りきるように猛勉強を開始している。
中国古典を学び、古印の研究に着手する一方、古印の蒐集を精力的に実施してきており、現在では1700点に及ぶコレクションがあると聞く。二度目の特選は昭和48年、日展会員に就任したのはその9年後の昭和57年であった。
当初から篆刻だけに集中しておれば、という気はしないでもないが、彫刻という世界観は篆刻の中でも大いに活かされているのではないかと思える。中国戦国時代の魄力ある彫りと意表をつく構成の妙に魅かれるという石廬氏だが、立体バランスを別の角度から感じられる氏の本質が石廬氏独自の篆刻観を培っているからであろう。こうした経歴をもつ作家も稀である。
平成12年に日展評議員に就任、篆刻界に次代の風を届けられる作家である。この個展を機に大いなる飛躍を期待したい。 (松原)
