第33回 読売書法展より
―牧水の詩情をのせた
  凜とした細線の切れ―


読売書法会審査顧問
香瓔会会長

榎倉 香邨


 第33回読売書法展が今年も盛大に開催されたが、その中、高木聖鶴氏と並び、かな書界の最長老として今なお書表現の可能性に挑み続けている榎倉香邨氏に改めてスポットをあててみたい。
 今作も牧水の歌をテーマとして、5首を横作品に配したが、鋭い書線の切れをやや抑えながら深く沈み込むように流れている。歌はすべて「山ざくら」を詠んだもので、「母恋し」の櫻もまた然りであろう。はじめからの4首は、明治43年に出版された牧水の3冊目の歌集『別離』の上巻に収められたもので、「廿歳頃より詠んだ歌の中から一千首を抜き、一巻に輯めて『別離』と名づけ、今度出版することにした、昨日までの自己に潔く別れ去らうとするこころに外ならぬ。」という自序の思いの吐露に、園田小枝子との情熱的な恋の終焉の自覚が重なっている。4首いずれもふるさとと、そこで住まう父母を思う心と潜在の景色(山ざくら)が融合した歌であり、その地で詠んだものでない。だから目の前に広がる鮮やかな視覚感はなく、静謐な思いと景が読み手に伝わってくる。5首目の歌は、牧水が亡くなる前年、妻(喜志子)と共に朝鮮揮毫旅行に出発する前に訪ねた富士・足柄の黄瀬川で詠んだ歌で、没後発刊の『黒松』に挙げられている。明け方の澄んだ空気にうっすら見える山ざくらの実景の雰囲気を歌っており、シーンとした静謐と、この景の中で生きる己の「生」が感じられる。
 これまでも、香邨氏は桜を詠んだ歌の作品の裏打ちに朱を使ったりして、作品としての完成度を如何に高めるか(如何に観者に思いを伝えるか)を実践してきており、「表具も含めて作品である」と言う。表具屋さん任せにする作家さんには耳の痛い言葉かもしれないが、今回はそうした仕掛けはなく、正にかなの線条の機微のみで牧水の「静の心」を表現せんとしている。
 ここ10年来、若山牧水へ傾倒して出生地から殆どの歌詠みの地を訪ねた香邨氏ならではの一作であろう。現在93歳。(松原)

 


 

 

 

 

 

 

行きつくせば浪青やかにうねりゐぬ 山ざくらなど /
母恋しかかる夕べのふるさとの 桜咲くらむ山の姿よ/
春は来ぬ老いにし父の御ひとみに 白ううつらむ山ざくら花/

父母よ神にも似たるこしかたに思ひでありや山ざくら花/
山桜咲けりともなし明けがたの このひとときの空のあかりに

                     (若山牧水)