榎倉 香邨の書
ー牧水のあくがれー
東京展
■2月8日〜14日
■東京日本橋 島屋 6階美術画廊
神戸展
■5月15日〜20日
■兵庫県立美術館
ギャラリー棟3階ギャラリー
榎倉香邨五回目の個展。2008年の第四回展「牧水をかく」に続く若山牧水シリーズ第二弾である。今回は「牧水のあくがれ」と題して、旅と歌と酒に明け暮れ、生涯を「あくがれ」に生きた歌人の歌約160首が香邨の仮名で表現されている。
さてなぜにここまで牧水にはまり、香邨の心と体を動かし続けるのか。やはりそれは今回のテーマである「あくがれ」にあるようだ。「あくがれ」は「あこがれ」に解される向きもあるが、語源は「在所離れ」である。つまり「ある(いる)ところから離れる」。それは歌人若山牧水の人生四十三年を常に突き動かした根本思想であり、牧水の感性そのものであった。香邨は言う。「どうして牧水は次々とあくがれを持つことができたのでしょうか。それはまぎれもなく旺盛なそして鋭利な感性だったと思うのです。ひたむきに思い求め、それが深まれば深まるほど、それに対峙するものを思う。…牧水のあくがれは深く大きくそして純粋であったと思うのです。(個展図録より、一部筆者省略)」故郷宮崎は日向の地を離れ、海に、女性に、山川渓谷にあくがれていった牧水。まだ見ぬ世界に自ら足を踏み入れ、歌を残し、記憶と記録にとどめた牧水。まさに人間が純粋の人間を生ききったさまに、香邨の心もどうしようもなく突き動かされるに違いない。人は誰しも純粋に生きたいと願う。しかし現世の由ない事がそれを許さない。いつしか人は自らバリケードを張り、その殻の中で右往左往しながら生を終える。しかし芸に生きる者がそれでよいのか。己の生きざまこそが血となり肉となって表現されるのではないのか。若山牧水のあくがれに榎倉香邨自らの生を同化させようとする心情がよく伝わってくる。
「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く」金箔を貼った六尺紙に黒い濃墨線が終始動いて牧水の代表歌が書きだされている。香邨乾坤一擲の書。この先の未知のあくがれを求めようとする強い意志の横溢に心打たれる。対峙する細線際立つ仮名とともに、生涯を賭けた大きな仕事を見た。(篠原)
