榎倉香邨の書
日展参事で書道香瓔会を主宰する榎倉香邨氏が、5年ぶり第4回目の個展「榎倉香邨の書―牧水をかく」を東京、神戸で開催する。
これまで香邨氏は与謝野晶子の恋の歌をよく自作の書材としてとりあげてきていたが、3回目の個展の頃より若山牧水の歌が過半数を越えるようになった。そして、今年の二十人展と今回の個展はすべて牧水の歌で作品を制作している。いったいどうして牧水なのか?その真意を直接お尋ねした。「以前は晶子の熱情ある恋の歌に魅かれて随分書いてきたが、もっと人間の奥底のどろどろとしたありのままをさらけ出すような牧水の歌にのめり込んでいくようになった。この変化は行成から西行のかな変化といえます。」と言われた。
早稲田大学在学中の19歳で歌人としての名声をあつめ、天才的な詩作活動を続け43歳で早世した牧水の生涯、中でも22歳の時に千葉の安房の根本海岸に熱愛する園田小枝子と新春を迎え、10日余り滞在している。相聞歌『安房にて』49首がそこで生まれる訳だが、まさに熱愛を直截に詠んでおり、その燃えるような感情を出し切った詩人は他にいないと香邨氏は言い切る。結局人妻であり、詩歌を共に語れない小枝子との愛は苦悶の中5年目の春で終るが、相いれない気持ちの未練を『海底に眼のなき魚の棲むといふ眼のなき魚の恋しかりけり』と詠み酒に溺れる。そこに現れたひとがいる。歌人太田喜志子である。明治45年結婚、良妻を得た牧水は心置きなく、旅を続け酒を楽しみ歌を詠み続けるが、無理がたたって昭和3年、沼津の自宅で永眠した。
香邨氏は一年以上前から、牧水の生家、根本海岸、晩年の沼津、様々な旅先を自ら訪ねたという。今展で氏は、牧水の生き様と歌に、出会いと別れの自らの熱情を重ねている。「亡き妻にささぐ」の落款がしずかにそれを語っている。
(松)