日比野五鳳・光鳳・博鳳展
―きよらの伝承―
● 3月10日〜21日
● 銀座和光本館6F 和光ホール
日比野 光鳳
昭和の三筆の一人とされる日比野五鳳の作品が久しぶりに東京の地で蘇った。しかも今回は光鳳、博鳳へと続く日比野家三代にわたる系譜展との位置付けで、開幕前から随分話題にもなった企画展である。副題は「きよらの伝承」。水穂会がずっと追ってきた、そしてこれからも探究し続けるだろう大テーマの根幹を確認する展観ともなった。
今更三人の履歴を列記したところで、それは稿を埋めるだけの作業に過ぎない。それよりも今展作が現書壇に及ぼす影響や大衆の「かな書」に対する理解がどのように深まるのかに目を向けた方が今展開催の意義に添えるのではないか。そういう思いからも出品作を出来るだけ読み解きたい。全62点の出品から各自6点を掲出した。その前に述べておきたいのが和光ウインドーディスプレイの模様。それは極めてシンプルに作られていた。三人3点の印刷画面が同形のパネルに貼られ、宋朝体タイトルを背景に正面を向いているだけの光景だ。だからウインドー内は明るい。これは博鳳氏の考案のようで、そのセンスの良さに道行く人の足を止めていた。そこから6階ホールへと向うことになる。まずは五鳳の20点だ。筆者の記憶にあまりない作品ばかりと思っていたら、そのほとんどが未発表作とわかった。五鳳は作品出品時、押印済みの作を2、3枚用意していたという。昨日と今日では見方が違う。だから最新の感性を大事にしたいとの思い。今回未発表の作が蘇った裏にはそんなエピソードがあったのだ。「沈める顔」を見れば充分うなずける。五鳳といえば短文を骨格のある線と空間を抱き込むような散らしで見せた作を想定する一方、「一松」のように流麗の連綿が先行した作もある。実に清澄だ。この静謐感こそが「蝶」や「考え顔」、「身を捨ててこそ」などの根底に流れているのではないか。「きよら」の根幹そのもののように思えてきた。つまり品格だ。いくら作品が大型化しても、この品格を忘れると書の価値は半減するだろうことを再び諭してくれているようでもある。光鳳も当然このことを実証してきた。されど父でもある師の後追いばかりではとの思いも相当あったであろう。光鳳独自の表現を模索した時期の存在も容易に想像できる。しかし根幹は揺るがなかった。「祇園清水」に見る真白の世界。清らかな線条の連綿が何とも麗しく、四方の空間を包み込む。「桃の花」においては、艶やかな料紙と流れ行く行の律動が一体となり、別世界へと誘ってくれる。この道はまだまだ続く。そして博鳳。日比野家三代目としてこれからその重責を担っていく立場。今展責任者としても連日会場に立ち続けた。出品は全て新作で、その意気込みの高らかさは随分と伝わってきた。博鳳の求めるところも普遍の「きよら」だが、そこに新たな風を加えようともする。それは「宇治川」に顕著だ。このスマートに引き抜く縱線とその間合い。都会的な明るさをこれからどう展開させるか期待が尽きない。そして「きよらの伝承」を守り抜く。
日比野五鳳(1901~1985)/光鳳(1928~)日本藝術院会員、文化功労者/博鳳(1960~)日展特別会員、水穂会会長(篠原)

入相の鐘 (能因法師)
