第51回水穂書展より

― 五鳳「清ら」精神の継統―


文化功労者

日本芸術院会員

日比野 光鳳

 

 「……わたくしどもの基本は五鳳の言葉による『清ら』の精神です。この精神は哲学的で、なかなか理解しがたいのですが、要するに書作品そのものに見られるシンプルで清楚な姿を追究するばかりではなく、書き手の心がどれほど清澄であるか模索する、ということになりましょう。これからも『書とは心のうちがそのままあらわれる芸術である』ということを理解し、時代に合い、形骸化していない『清ら』な書の姿を、会員一同さらに探求していきたいと考えております」とは、第51回水穂書展の図録巻頭に記された光鳳氏の言葉である。
 昨年、50回の大きな節目展で創立者・日比野五鳳の特別展を併催。今もなお大きな反響を呼ぶ父『五鳳の書』の本質を、改めて光鳳氏自ら深慮考察した上での言葉ではなかろうか。
 偉大な書家を父に持つ、光鳳氏の書家としての生き様を思うとき、常に父の書と比較される運命を背負っていたことは容易に想像できよう。父とは違う何か、その何かを求める葛藤と研究が『京の雅』の具現に結びついた。そして、五鳳調とオーソドックスな王朝かなを基本に、起承転結の構成や交響曲的展開を加味して自己の『書』の確立を図るなか、大病を経験して「生と死」の深意をかいま見たという。生かされている自分である。それは、書作品にも現れるようになり、かくして書道界で初めて父子二代の芸術院会員・文化功労者が誕生したのである。
 さて、光鳳氏の出品作に目を移そう。水穂展には決まって六曲屏風の大字作品を出品されてきた。筆者の記憶でも第40回記念展からもずっと六曲屏風であった。今年、少し体調を崩されたため4色紙の額作品となったように思えるが、理由はそれだけではあるまい。一途に決めてきたサイズ・形式に拘らなくてもいい、と決心されたのではないか。この作品は、四季の歌4紙を配して極めて上品に優雅におさまっている。歌と書線が静かに沈着して、ほのかな香りが漂いくるようである。『雅』の権威性と虚飾性を剥ぎ取って『清ら』に向う記念の一点といえる。(松原)

 

 

 

 

 

右より、藤原定家、式子内親王、西行法師、寂然法師の歌