古谷 蒼韻
'04長興書展より古谷蒼韻氏の作品を紹介させていただいた。
今回は「子規と漱石」をテーマとした作品づくりに全体が取り組んでいたが、テーマから必然的に調和体作品となる。氏は近年日展で、二字・四字構成の木簡調の漢字作品を発表してきており、久しぶりに和様漢字の真髄を見た思いがした。
私事で恐縮だが、今も思いだすのが、もう15〜16年前の長興会浪華書展で発表された「椰子の実」の作品である。以前も記させていただいたが足が釘付けになったのである。漢字作家なのに中国的なにおいのしない、それでいてかな作家の作品イメージではない不思議感にとらわれた。
そんな思いが、今展の作品にまた感じられた。子規の随筆「墨汁一滴」、「病床六尺」の一節を書き並べ、最後に絶筆三句のひとつ、「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」で締めた作品だが、実に視線の流れがスムーズである。行間が響き合い自然に次行に導かれる。二紙後半の「悟りという事」の「事」をかなの散らしのように配置してひとつのポイントをつくっているあたりは、体感センスであり、創ろうとして創ったものではないだろう。
この作品のおかげで、私は子規の作品を読み返す機会を得た。そして子規の凄さを再認識させてもらった。「もうこの作品で調和体は書かないつもり」という蒼韻氏の風声が聞こえてきたが、本当だろうか。まだまだこうした心を打つ作品を発表してほしいと思っている人は非常に多いはずである。 (松)