第53回現代書道二十人展
日本芸術院会員
古谷 蒼韻
掲載の巻子は新春現代書道二十人展出品の一作。墨色や発墨の冴え、線の味わい、韻致など写真の中では読み取れない要素がたくさんあることが残念だが、実際に作品を目前にした筆者の言葉が鑑賞の手助けになれば幸いである。
古谷氏は日本書芸院会報に「書を学ぶことの基本は″独り学ぶ″行為だと思う。自分の見かたで、自分のやり方で、自分だけのものを創る。」と書いている。その実、氏が私淑した中野越南氏から「中国の古典を自らの感性と解釈で習うべき」と助言され、古典の独学に励むことになる。「自分の世界を創る一家の風をなさねば」という決心が辻本史邑、村上三島両氏に師事した後もゆらぐことはなかった。書を習うことは、師の手本を習うことと同類に解釈されるのは昔日からであるが、そこから抜け出せるか否か、一家を成すとはそう簡単なことではない。古谷氏はその手本すらもらっていない。師の求めたるところをひたすら追ったのである。村上三島の王羲之、王鐸研究の中に潜む点画の省略法を懐素自叙帖や木簡に見い出し、古谷蒼韻の線にしていったのである。村上、古谷両者の作風に表面的な共通項がない理由は明瞭である。古谷氏は「書は線芸術」と言い切る。「良い線が出れば、漢字も仮名も一緒だ」とも。この″良い線″とは古谷蒼韻の場合、格調の高い線につながる。掲載作芭蕉小文の線はそれを物語るに充分だ。巻子作なので上から覗きこむ状態で、極めて視近に線の表情を窺える。良質の固形墨の磨墨であることは当然のことながら、そのみどりの黒の美しさが潤渇の線に響いてくる。行間の余韻を伴いながら、横八尺に芭蕉文学の世界が静かに展開する光景。変体仮名を多用した漢字仮名交じりだが、字を読むことよりも書線を味わうことを自然に優先できる作調。この風を成す作家は古谷蒼韻をおいて他にいない。
「″独り学ぶ″の心がなければよき個性は生まれない」古谷氏自身が実践者であるが故に、この言葉は重い。日本の書壇のリーダーとしての書文化に対する警鐘でもあろう。一層の健筆を祈りたい。 (シノハラ)
