104歳までの代表作品を一堂に

仲 田 光 成 遺 墨 展

 東のかな書を代表するひとりであった仲田光成翁が104歳で長逝されたのは、平成15年7月20日であった。
 早三回忌となるが、これを機に大々的な仲田光成遺墨展が9月23日〜28日まで上野の森美術館全館を使用して開催される。実に140点に及ぶ翁の代表作が出品されるというが、その偉業を書道界にしるす展観となることに言を待たない。
 仲田幹一(光成の雅号は百歳の書展の祝賀会で、翁が尊敬してやまなかった藤原行成に因んで一門の弟子から雅印とともに贈られた)は、明治32年に兵庫県城崎郡中竹野村松本358番地で4男3女の末子として生まれた。子供の頃から書に親しんで18歳で能筆が認められ役所に奉職したというからその事実が書の資質の高さを物語るが、同時に幹一氏は陸上のスポーツ選手としても群を抜く存在であり、将来はオリンピック選手も夢でなかったとの話をお聞きしたことがある。
 が、運命は書の方に傾く。結婚の翌年長女美佐登さんが生まれ、その年に同郷の先輩である木崎為之(女子学習院教授・法学博士)氏の推薦により女子学習院に奉職することになる。21歳の時である。この上京で書家仲田幹一を決定づけた出会いを果たすこととなる。宮内省書記を拝命する中、女子学習院に講師として出講されていた尾上柴舟氏と出会い師事、以降文検受験者を指導し、教育畑を歩む一方、師と共にかな書の古筆学習を全国に広める運動に参加していくのである。
 戦後は昭和23年に「目白会」を創設、大字かなの研究を手がける一方、展覧会活動にも積極的となり数々の名作を残すが、昭和40年〜43年のかなの革新的調和体ともいえる傑作を見逃せないだろう。上掲はその中の一点「蕪村句」である。当時の書人の驚愕が想像できる大胆な空間構成である。何故か43年以降こうした作品は影をひそめるが、ある意味自己模倣性を嫌ったのかもしれない。が、粘葉本和漢朗詠集を基軸とし、佐理の鋭利な切れを加味した大字かなと、連綿、散布、料紙の三位一体の平安かなの美の追求は104歳の最後まで滞まることはなかった。(松)

 ■9月23日(金・祝)〜28日(水)  ■上野の森美術館全館 
    
 昭和四十三年 第一回個展
「はる風や堤ながうして家遠し」  蕪村