平成29年度日本藝術院賞・恩賜賞受賞
〜深遠なる空間を求めて〜
日本美術院理事長
田渕俊夫
先般、日本藝術院から芸術分野で優れた功績をあげたとして、平成29年度(第74回)日本藝術院賞・恩賜賞を授与されたばかりである。対象作品は平成27年再興第100回院展出品作〈渦潮〉に対して、である。
「渦潮」は鳴門海峡のことで、激しい渦潮は飛鳥・天平の時代から交通の要衝地として行き交う多くの旅人を悩ませた。そんな往時をイメージしての制作であった。
この掲出作《明日香心象 寒月》も、その題名にあるように飛鳥時代に心象は置いている。画家田渕にとって日本の古代、飛鳥・天平時代はきわめて大きなテーマであり、モティフとなっている。
《明日香ノ》に画家はコメントを寄せている。「昔は夜が驚くほど暗く、人々は月の出を待ち焦がれたようです。ノ略ノ今宵は満月。皓々とした月が、寒さを物ともせず妻問いに急ぐ若者の行く手を明るく照らしていました。」
今しも満月は中天にあり、月に向かってゆるやかに迫り上がる棚田を照らしている。よく整地された畑田の畦がほど良いリズムをつくり、いくつかの雑木の群れも間合い良く、全体を覆う緑青色と相俟って、静かに深々と幽玄の趣きを堪えている。はなはだしい寒気に、大気は澄みきっている。
コメントに「妻問いに急ぐ若者」も、この月光のもとでは道を踏みはずす懸念もない。と納得してはみたものの画面に若者は見当たらない。が画家には見えたのだ。幻視であろうが錯覚であろうが、それほどにこの世界に心身共に入り切り、往時の人々と同じ思いを共有していたのであろう。あるいは妻問いをする若者を詠んだ古歌が脳裏を過ったのかも知れない。
それにしても、これといったポイントのない風景である。そうした大和の、今日でありながら悠久の刻を遡る作品を、月光と色調で一幅の画にしてしまう。しかも広やかでゆったりした空間をともなって。(中)
