郷倉先生は近年、もっぱら梅をモティフに描き続けておられる。昨年は屋根越しの梅であったが、今展では鴛鴦のいくつもの番が泳ぐ水辺の梅の景である。
梅は春に先がけて、葉が開く前に芳香ある五弁の花を咲かせる。本来は白の一重咲きであろうが、紅あり薄紅あり、そして八重咲あり等々である。
江戸時代以降は桜が大和心に擬せられて人気が高いが、かつては梅が桜以上に愛された。小清水卓二によると、『万葉集』で梅を詠んだ歌は一一二首に及ぶのに対し、桜の歌は三六首に過ぎない。ちなみに『万葉集』に登場する植物では、萩がトップで一三八首、梅が次いで二位、桜は八位であるという。トップ10までが実用性(ちなみに聖書では葡萄・小麦・無花果……の順)よりも花や姿の美学的評価のゆえに選ばれている。おそらく、奈良朝の貴族社会には植物を美学的に評価する文化が成立していたと思われる。
梅に関する蘊蓄がいささか長くなったが、老境に入ってから梅をもっぱら描かれる郷倉先生の心境を慮ってのことゆえ、おゆるし願いたい。
かつて、郷倉先生のお邸の向いに梅林があった。おそらく小さな頃から馴れ親しんでおられたであろう。その梅が歳経て忽然と胸を満たしてきたのだ。そこには年輪を重ねた人生に叶った美意識もあろうし、名所の梅もさることながら、ひなびた野の梅の、加えて老梅の捨てがたい趣が心情に重なり合うのだろうと思われる。
右手にわずかにのぞかせる土坡、左手から差しかかる梅ヶ枝にポツポツと白い花、そして波紋を描きながら睦み合う三組の鴛鴦。春光がニュアンスに富む陰影を水面に映じている。
一見、鴛鴦が主役のようであるが、それも梅があってこそ、春のぬくもる光と水に凛とした香風が吹きわたるのだ。そしてそれが当然のことながら、郷倉先生の心境でもあるのだ。
(中野)