― 追悼―
第71回春の院展より
文化功労者
日本藝術院会員
郷倉 和子
文化功労者・日本藝術院会員で日本美術院の最長老・郷倉和子さんが、4月12日心不全のため亡くなった。ちょうど第71回春の院展の東京展が日本橋三越で開催され、フィナーレを迎えた翌日のことで、筆者も会場で白梅越しの雲の向こうの空に架る虹を描いた「宙のかがやき」を拝見し、境地を更に深めた気韻を感受して心温まる気持ちで神戸に帰ったのだが、まさかこんなに急な御逝去の報に接するとは思わなかった。享年101歳。再興後1世紀を越える歴史を有する日本美術院だが、私の知る限りでは本院で白寿展、百寿展を開催し100歳を越えて活躍した作家は、奥村土牛翁、片岡球子さん、小倉遊亀さん、それと郷倉和子さんの4名である。
今でこそ梅の画家として知られる郷倉和子さんだが、女子美術専門学校(現女子美術大学)を首席で卒業、翌年の院展に初出品初入選を果たす。翌年、安田靫彦火曜会に入会してその2年後に院友に。戦争中、結婚と家事専念のため5年間不出品の時をもったが、昭和24年に復帰し、これまでの写実から厚みある半具象へ画風を一新し、次々と受賞を重ねカラリスト振りを発揮している。昭和45年「榕樹」(
文部大臣賞) がその代表作であろう。梅をモティーフとして作品創りを始められたのは昭和60年(1986年)頃からであったと記憶する。その出発点となった作品は翌年の春の院展に出品された「古木に出た紅梅の芽」で、越冬用のわらに包まれた老梅の生命力を謳った。そして第70回院展に優美に枝を広げる月下の白梅を四曲屏風に仕上げた「暮色白梅」を発表する。正に新たな画境がこの年から開かれていくのである。それから4年後の平成元年の第74回院展に、大屋敷の屋根を背景に、空に古枝を広げた白梅を配した「静日」を出品、その作品が翌年の日本藝術院賞・恩賜賞を受賞し、日本ならではの空間美の在り方を示した。その後も郷倉さんの作品には梅があり続け、平成9年日本藝術院会員就任、平成14年文化功労者として顕彰された。
筆者も多くの郷倉和子作品に接してきたが、今も鮮烈に記憶に残る作品がある。白梅越しに俯瞰した池にゆったりと寄り添うように泳ぐ二匹の錦鯉を白寿の年に描いた「春へ」である。そしてその後、想いは大空へと動く。70回春の院展の1匹の鯉の梅咲く池面に映る空、第100回院展の空と水と雲と自らの精神の融合。今展の虹のメッセージは意味深い。 (松)
