平松礼二「睡蓮交響曲」
=日本画家による100年後の返歌・返画=
国内最大級、全長90mに及ぶ屏風作品の展覧


● 3月5日〜6月28 日(4/28は前・後期入替え休館)
● 町立湯河原美術館 水曜日休館( 5/5は開館)

 全長90メートル、14点連作屏風作品が一堂になる特別展示である。
 返歌・返画とは、クロード・モネ(1962年没)が晩年、その死までの30年間描き続けた《睡蓮》シリーズに対しての応答の意である。平松もまた、己の画業の最終課題の完成まで、奇くしくもほぼ30年の歳月を閲けみしている。
 始まりは、自身の個展開催のために渡仏した会期中訪れたオランジュリー美術館でのモネとの出会いであった。“足が震えるような衝撃に見舞われた”と回顧している。それは睡蓮の池と花・季節・時間をモティーフとし、近景ばかりの作意、そして屏風に共通する連続性、等にあることを発見、以来、何故これほどまでに《睡蓮》と日本画に共通点が多いのか、それを解明するにはモネという画家の生涯を自分の“眼”と“心”で探り出すしかない。と覚悟した。
 平松のモネ、そしてジャポニスムへの長い旅がここから始まったのだ。
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 この稿は展覧会前の執筆で会場での展示は未見だが、図録で11点ほど紹介されているので、その並列順はわからないがおおよそのことは見当がつく。平松が課題とした、モネの《睡蓮》作品群から抽出したその特質であるモティーフの“睡蓮の池と花・季節・時間”“近景ばかり”を、油絵を日本画に転じて徹底していることであり、一貫して表象している〈装飾性〉である。そして何よりも肝要なのは“日本画による日本固有の美とリアリティ”があることだ。
 平松は“モネ・ジャポニスム”連作を始めて間もなくから、平松琳派といわれ、やがて琳派の第一人者となる華やかな世界を展開するのだが、それまでの歩みを思い浮かべると、その名を高からしめた「路」シリーズは、力強い筆致による暗く重苦しい色調の荒涼たる風景作品を主としていた。
 そこからの一転は、いかにモネの衝撃が強かったかを知るが、その衝撃に真摯に対峙し、己れの感性に正直に画家魂を奮い立たせた勇気こそが今日の成果を導いたといえよう。
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 何点かに触れよう。
 「モネは柳を女性の喪服のようだと」(平松)の添え書きのある『モネの池、夏から秋への頃』は左右に柳を配し、青い池面に浮游するのは霊魂にも見え、蓮の花咲く池面に斜めに北斎の富士雲を映し、ここにもモネの好んだシダレヤナギが登場する『モネの池を走るホクサイの雲』また『ジヴェルニー 池の反映』の〈夏・秋〉は青と赤に主色を違え、抽象画とも見まがう大胆さを展開する。それぞれに完成度を高め、趣きを変えながら、次々と連続するモネの池は、確かに平松の池でもある。
*1941年東京生まれ。5歳から名古屋、50歳で鎌倉へ転居。愛知大学卒後、創画展、横の会を経てフリーに。(中野中)

池に金色の雲映る  80.3×116.7cm(P50) 2011 年

 

モネの池 夏から秋への頃 六曲一双屏風 (200×540cm×2)2019 年

ジヴェルニー 池の水鏡(I) 六曲一双屏風の内左双 (200×540cm)2020 年

色彩のカルテット―睡蓮 六曲一双屏風 (180×420cm)2011 年

モネの池を走るホクサイの雲 六曲一双屏風(部分)