山 辰 雄 〜素描と作品自選展〜

 第37回日展開催に併せ、新設なった日展会館に於てa山辰雄展が開催された。昭和25年から平成8年までの大分県立芸術会館所蔵作品を中心に、年代を追った作品約50余点が並んだが、その中の一点に注目した。「食べる」と題されたこの作品とは3回目の邂逅であった。やはりこの作品をみると特別の感情が湧く。
 私がこの作品を初めてみたのは、15年ほど前。一瞬、その前で足が止まり、しばし動けなかった。
 小さな子供、幼児から自分の意志を持ちだした年齢と言えばいいのだろうか。真横からのアングルで大きなお椀を口元まで引き寄せて、背中を丸めて何かを一心に食べている。その前には水の入ったガラスコップの乗った小さな食卓があるだけで、時間という赤い逆光を浴びたかのようなシルエットで子供が捉えられている。そこが一般的な食卓でないことは分かるが、座敷なのか、板の間なのか、また、どのような家なのか判らない。
 だけど、不思議とどこかで見たような感覚に見舞われる。そう、自分自身の子供時代のワンシーンが浮かんできたのだ。このほの暗い中に感じる光は、時間軸をかすかに震わせていて観者を自身の過去へと誘っているようである。
 私事で恐縮だが、私の実家は農家で、昼間は両親、祖父とも田仕事に出ていることが多く、幼稚園から帰ってきても誰もいないことがしばしばあった。食卓には一応のおかずが置いてあり、十円玉(札だったかも?)が一個のせてある。近所の店で何か一品のお総菜を買って一人で昼食をとったことを思いだした。何かもの悲しいけれど、食べるという行為の私自身のイメージがこの一点の絵から湧き上ったのである。一種のフラッシュバックといって良いだろう。
 「食べる」という行為は、動物の基本生理本能の一つで、いかなる小動物といえどもその行為なくして生命の維持はできない。またその行為には食物連鎖の頂点に立つ人間にとって、拭っても拭いきれない原罪が含まれている。他の生命を自身が「生きる」為に殺すという…。
 「食」の尊厳は実はそこに存在するのである。「食」を通して「生きる」ことを再確認する。画家は『食べることは悲しいこと』と語っている。画面から漂う悲哀感は、画家の繊細な倫理観から滲んできているのだと思う。昭和21年、48年、60年と三回このテーマに取り組んでいるが、テーマを深く突き詰めたa山芸術の傑作のひとつに位置することは言を待たない。
 文化勲章受章・日本芸術院会員、明治45年6月26日、大分県の生まれ。現在、日展顧問。
         (松)

  ■2005年10月30日〜11月27日 
  ■日展会館 2階〈イベントスペース〉


   「食べる」 1973(昭和48)年 大分県立芸術会館