古稀記念 人間国宝  徳田八十吉 燿彩 展

 確か昭和62年の新年であったと記憶しているが、初めて九谷の燿彩 に接したのは日本橋三越で開催された「エジプト日本週間参加記念」と銘打った徳田正彦作陶展であった。まだ、三代八十吉を襲名する一年前のことである。  

  普通、九谷といえば五彩の重厚な焼き物を思い浮かべるが、正彦氏の作品は絵付けもなく、グラディカルな四色の色彩 が濃紺をベースとした器に配されているもので、まったく九谷のイメージとは異なる異次元的な世界が会場を埋めていた。  

  その時以来ずっと折ある度に氏の個展を拝見してきているが、展示方法が斬新であった。それは、会場を暗室としてスポットを作品に当てるという試みである。特に、外面 周囲に帯状に4彩のグラデーションを施した大振りの壺(花器)は、回転台に設置されスポットが当てられている。光のドップラー効果 のような神秘的な残像が、回転周辺に響くさまは陶芸展では初体験であり、殆どの観者が息を飲んで見つめていた。  

  それにもう一つ、「燿裂」作品の展示である。窯の温度を上げすぎたために生じた「焚割れ」の中に偶然面 白く裂けたものであり53年間の作陶生活で僅か数点しかない。「焚割れ」であっても割られる運命にあった過去の数百点以上へのレクイアムとしての展示である。  

  この燿彩磁器誕生の秘話だが、氏は青年の頃、陶芸を継がないと決めていたという。これまでの九谷は古窯再現が主で、創造性に乏しいと思い込んでいた。転機となったのは「嫌いだからこそやれ」の言葉だという。同じものを作ることをしないことが大切なんだと。やるかぎりには釉薬の研究は欠かせない。初代八十吉に上絵釉薬の調合について学び、現代陶芸の成形は父から学んだ。そして実際の作陶に入る頃、「青手古九谷」の上絵釉薬の美しさに魅かれ、赤の鉄釉を除いたガラス釉の4彩 の微妙な発色の研究を始めた。色見本の焼成データを採取する過程でグラディカルな色変化そのものが作品に繋がるのではという確信を得たのである。正に前人未到の境地を切り開く出発点であった。  

  平成9年、人間国宝に認定され、今年古稀を迎えての作品展。愛娘も陶芸に進み有望視されている。〔松)

■9月30日〜 10月6日 ■日本橋三越本店  6階美術特選画廊

「  紺碧燿彩花瓶 」  徳田八十吉