特別展 歿後50年

初代  田 八 十 吉

古九谷・吉田屋の再現にかけた生涯

 先日NHKの美術番組で、「初代 徳田八十吉 〈古九谷・吉田屋の再現にかけた生涯〉」が放映されのを見られた方も多いと思われる。私もそのひとりで、実際にこの目で見てみたいと
思い現地へ走った。
 館に入ると、先ず初代が愛蔵した古九谷と吉田屋が展示されており、特に「古九谷 栗図角皿」の緑釉の深さに感銘をうけた。初代の作品約180点と対比できるようになっていて興味深いが、銘に欽慕、写意とつけている作も多く、いかに古九谷・吉田屋(赤釉を除く四彩)を愛し、研究していたかが窺い知れる。
 初代徳田八十吉は、明治6年に小松市大文字町の染物屋に生まれた。九谷焼業界も政府の殖産興業の肝いりで好景気に湧き、明治20年には全国一の輸出高を誇るようになる。そんな中、八十吉は日本画を志し、図案教師として九谷に招聘されていた荒木探令、山本永暉に絵を習う傍ら、兄が工場長をしていた九谷焼の上絵付けを手伝うようになったという。その後、色絵、赤絵金彩の輸出九谷の陶画を学び、古九谷、吉田屋の陶美に魅かれていく。独立したのは20歳の時、それはまさしく古九谷、吉田屋の釉薬を研究する為であった。試行錯誤を繰り返し、深厚釉、深和黄釉を生みだし、45歳頃に「八十吉」の銘を入れるようになってからは更に古典の文様研究や写生を図案に取り入れた独自の世界をもとめていった。これは、吉田屋も古九谷の写しでなく時代の創造と見ていたからに他ならない。初代は昭和28年、九谷焼上絵付けの分野で国の無形文化財に選定されている。
 写生を基にした「闘鶏図平鉢」を紹介した。闘鶏の動感が見事に捉えられているが、初代が奥さんと喧嘩したあと描いたことで、筆線の思い切りがよく気に入っている作品のひとつであると、三代八十吉氏(人間国宝)が方言で解説されていた。初代の釉薬研究は孫の三代に引継がれ、新たな九谷創造の源となった。(松)

 □2006年9月30日〜11月26日 
 ■ 小松市立博物館  ■ 小松市立本陣記念美術館 ■ 小松市立錦窯展示館


   闘鶏図平鉢の裏面