先ずは中井貞次氏の本年度文化功労者顕彰を心から喜びたい。これも地道に「染色」という、人間の生活文化に密着した仕事に真摯に向き合ってきたからに相違ない。作家としての創作と、母校である京都市立芸術大学美術学部デザイン科教授として後進の指導にも尽力し1996年の退任まで助手として勤務した時代を含めると実に41年間母校の教職員として務めた。その間に鹿児島大学教育学部美術科非常勤講師 夏期集中講義(1978〜1999)、東京藝術大学美術部の非常勤講師(1980〜1985)を務め、鹿児島大講義の折り、沖縄・八重島諸島の原生林への取材を重ね、作品へと成果を昇華させている。
中井貞次氏とは日展、現代工芸の作品での紹介で随分とご紹介させて頂いているが、初めて対談で詳しいお話をうかがえたのは2006年5月11日に「ななこのアートインタビュー」でご自宅を訪問、笑顔の奥様と共に御対応頂いた時に遡る。
その記事を一部引用させて頂くが、〈中井先生は1932年京都の生れ。「学校の勉強より幼い頃からいろんなものを見て歩いたり、絵や工作したりする事が好きな子供でした」そんな感性豊かな先生をみていたお兄さんの薦めで京都市立美術大学工芸科に入学。蝋染めの小合友之助先生に魅せられ、染色の世界に足を踏み入れたのである。そして大学在学中に日展に初入選、82年には日展会員
に就任し、工芸家としての地位を確立した。そして90年、日展文部大臣賞受賞、93年には日本芸術院賞を受賞〉、そう院賞受賞後13年の時であった。藝術院会員へのアプローチの話など全くなく、若かりし頃の染色世界への抱負と実践を熱心に語られたことを今も思い出す。
〈「日本工芸の源泉であるペルシアを研究することが工芸家にとって何よりも必要だという考えがあったので、富本憲吉先生の助手をしていた陶芸家の小山喜平さんと二人で計画を練り行くことになったのです。が、資金がなく、石油貿易会社のタンカーに無料で便乗し、連れて行ってもらった。一年間車で4万キロ、イランを中心に中東諸国及び、ギリシア、インドを走りましたね」〉 その13年後にも大冒険が続く。文化庁の派遣在外研修員として一年間ヨーロッパへ。走行3万5千キロ、僻地にある織り場、工房を訪ねてまわった。懐かしい思い出話だが、正に中井氏の人柄が伝わるだろう。この訪問の2年後に日本藝術院会員に就任。その後も日本各地、シルクロード他を巡り様々な作品を発表している。2019年の染・清流館での大個展が大きな評価を受けたことは言を待たない。
想像を絶する中東の乾燥地帯、そこに生きる民族の希求するものへの作家のイメージと図案化、今年の日展作品だ。(松)
