今月の課題 「楽しくやろうぜ!」 編集主幹 松原 清
今月号の日本の書展で高木聖雨理事長の「高興起」の三字句に興味が湧いた。高興は「うれしい、たのしい」の意で、中国では挨拶の言葉としてよく話される。起は動詞であり後ろにあるから、直約は「楽しくなってきた」であろう。しかし、この言葉の裏には、「だから、私たちも楽しくやろうぜ」というメッセージが込められていると理解した。
本来、藝術とは人間の自由表現そのものである。それは、ちゃらんぽらんな行為のなかにも表現の「核」を持ち続けておれば何かを感受する。こうでなければならないと言うことはない。これもアリだが、人生は短い。ここで言う「藝術の核」とは、こんな世界が表現したいという作家の心の中の「小宇宙」のことで、一種のファンタジー〈夢〉でもある。
作家は作品を発表して初めて個のメッセージが世の中に拡散される。多くの人々の共感を得たいと欲するのは当然のことだが、そう世間は甘くない。せめて一部の人でも〈夢〉を共有できれば作家冥利といえるだろう。実は作家一人ひとりにその実現の道は開かれている。要は突き詰める探求心を持ち続けることが出来るか否かで、作品のステージが決まってしまうという現実を知らなければなるまい。大切なのは「好奇心」なのだ。知らないことを知る楽しみこそ「高興起」であり、自分自身を伸ばす原動力となる。変に納得してはならない。「好奇心」は子供の心そのものである。
現在の日本の藝術界を思うに、殆どすべてが内向きのベクトルに支配されてしまっているようだ。楽しさがない、夢がない、だけど名誉とお金は欲しい。殆どの作家は、当初から名誉とお金を夢見て藝術の世界に入ったのではないはずだ。思い出して欲しい、その頃抱いた夢を……。
確かに今は便利になった。何でも知りたいと思えば答えが手に入る。200年前の遠近法、多点遠近、逆遠近。中国古典、日本の古筆の文献も。だけど、自ら興味をもって調べ、自分の身の内にしない。学び、実践する中にこそ新しい世界が浮かび上がってくるのである。
91年に記した文がある。「藝術とはファンタジー(感動)でなければならない。様々な主義、スタイルがあるが、つまる所は自己の真実(リアル)への追求の産物として生まれた形象であるから、如何なる藝術もリアリズムを基調としていないものはない。リアルをつきつめて、つきつめて、その果てにふわっと幻想空間が現れる。甘えの中では、そうした幻想空間は見えるはずもない。飽食の時代は、道徳・藝術・政治他すべてのものが停滞し堕落するという歴史を繰り返している」。
一言加える。『夢を追って、楽しくやろうぜ!』。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円