今月の課題 美術評論と美術界(2) 編集主幹 松原 清
最近つとに思うが、銀座の個展を巡る評論家が少なくなった。団体展の懇親会についても同じ感じをもっている。集うメンバーに殆ど新規の人はなく、高齢でひとり欠け、ふたり欠ける状態がここ10年続いている。美術界における評論家の絶対数が明らかに減少しているからだ。
ここで言う評論家とは自らの足で様々な個展を巡り、団体展の会場にも常に足を運び、これまで注目してきた作家の現況を把握し、新進の作家を発掘しようとの思いを持ち続けている人のことで、作家と共に芸術観を語ることが出来る人である。美術館、博物館の中で自分の研究に没頭し、自分の研究目的以外は世間の美術活動に一切関わらない学芸員ではない。日本全国に国立、県立、市立ほか数えきれない公立の美術館、博物館があるが、住民の文化意識を高める為に何をすべきかを本気で取り組んでいる学芸員はどれほどいるだろうか。学芸員は学芸員としての本分があるはずだが、作家の作歴を一切知らないで団体展の審査や美術館の企画、団体展の館使用審査にかかわっている人も多い。コンクールはその時の作品での優劣を決めるから、しっかりとした美観をもつ人なら納得できるが、作家を育て、新人を発掘するという意図を持つ団体展では賞のもつ意義が違ってくる。一番良いのは、全国の学芸員(目覚めたほんの20人程でもいい)が芸術の鑑賞・企画の立場だけでなく、今活動している芸術の創作者の発表現場に足を運ぶようになれば一挙に活性化が進行すると思うのだが、あまりにもテリトリーが明確に分かれすぎていて難しいかもしれない。
はるか20数年前にも記したが、美術評論が評論として重みを増してくるのはサロン以降の落選展、印象派展の頃からである。当時の記録を読むと新しい運動に対し、旧体制を望む者と、その運動の賛同者の180度異なる評論を見ることが出来る。特定の作家を掲げて誹謗する側と擁護する側がでてきた訳である。自由主義(自然主義)が浸透する中にあって、民衆はとまどいながらも着実に新しい流れに目を向けるようになった。
近代絵画の幕開けは、対峙する評論の幕開けともなった。この対峙こそ芸術の自由を守る砦である。保守的な評論と革新的な評論、どちらが良いと一概に決められない。ただ歴史の流れの中で民衆が判断を下すのである。
現在の美術界に評論の黎明期をあてはめることは些か乱暴ではあるが、仏には今もサロンがあり、革新のグループも存在する。日展は仏的に言えばサロンであり、それに賛同する傘下の団体と対抗する在野の団体が生まれたのが日本の美術界といえる。サロンは伝統の中で、それぞれの時代を鑑みながら作家を育んできた。純粋なコンクールでは決してなかった。今、日展のコンクール化が静かに進行している。
早いもので、もう師走が目の前である。今年も残り僅かになったが、年末にかけて展覧会が目白押しである。自らの仕事を毅然とやり遂げて新年を迎えたいものである。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円