今月の課題 「鶴亭」の凄さ 編集主幹 松原 清
生誕300年記念「若冲」展が東京都美術館で開催され、4月22日〜5月24日の期日(4/25、5/9休室)で約44万6000人の入場者で賑わった。これは31日間で1日平均1万4387人となる。後半は待ち時間2〜4時間がコンスタントとなり延々と行列が続く光景に慣れてしまった程である。先月号にも記したが、筆者もいつか展覧したいと思いつつ、結局あきらめて図録だけは買い求めた。
対して、若冲の同上期間を含む4月9日〜5月29日迄神戸市立博物館で開催された特別展「我が名は鶴亭」は延べ44日間に4万266人で1日平均915人の入場者であった。しかし、内容的には決して劣るものではなかった。若冲が鶴亭に憧れたというのも本当のことであろうと思えるし、その生き様と年を追う毎の心韻的な画力が凄い。先月紹介したその後の鶴亭を追ってみる。
25〜26歳のころ還俗し大坂・京都に向い熊斐(ゆうひ)ゆずりの南蘋風花鳥画(写実性と吉祥性を持つ)で一躍時の画人となった鶴亭は、33歳のころ江戸に滞在しているが、これは三井高登(三井・六角家第三代)の要請で江戸で絵を描くためのようで、落款から子龍井君(高登の号)への関連が示された「墨竹図」が残っている。その後、また京都に戻り池大雅、木村蒹葭堂との深い交友を結んでおり、曹洞宗の佚山、大坂の泉必東とも交友をもった。また、この地でいわゆる鶴亭派を後に興す鶴林、鶴洲、鼓嶽山人らの弟子がうまれている。
池大雅との親交の深さは、黄檗僧・大鵬正鯤(萬福寺の15代住職、18代に再任)が再度、住持に就くのを祝って大雅との対幅「牡丹小禽図(鶴亭)」「雲林清暁図(大雅)を贈っていることからも判る。京都では洛北、30代後半からは大坂高津の五字菴を拠点として活動していた。そして、47歳の時正式に黄檗僧に復している。これは、黄檗との関連深い大雅と萬福寺住持の大鵬正鯤からの勧めが大いにあったと考えるべきであろうが、黄檗への思いが鶴亭の心の奥にずっと在り続けていたからこそだろう。
鶴亭が著色花鳥画の名品「牡丹綬帯鳥図」「海棠綬帯鳥図」などを次々と生みだすのはこの直後からで、実は若冲が「釈迦三尊像」「動植綵絵」を描いて脚光を浴びだした時期に合致している。本来、鮮やかで凛とした色彩と写実の著色花鳥画のイメージが強い鶴亭だが、全作品のうち7割が水墨作品で圧倒的に多い。一画毎の落款印に拘る姿勢もあり、中国文化への憧れが見え隠れする。が、若冲の台頭に南蘋風花鳥画の継承者としての意地がそこに生まれたとみるのは筆者の穿った思いであろうか。しかし、著色花鳥画制作は2年ほどで終息し、50代には墨画へと移行「墨梅図」他の名品が多く生まれている。56〜62歳、萬福寺塔頭紫雲院の第6代住持に就任。64歳、江戸・下谷池ノ端にて没している。
28歳の時の、笹の白雪が融けてゆく瞬間の白抜きの「雪竹図」、57歳「花鳥雑画押絵貼屏風」六曲一双は見過ごした自然を発見する感動があった。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円