今月の課題 「若冲と鉄斎・鶴亭」 編集主幹 松原 清
ゴールデンウイークの5月2日昼前、都美術館入り口へと行列して入場待ちする人々人に唖然とした。よく見ると最後尾に待ち時間50分を掲げた整理人がいる。
そう、生誕300年記念若冲展が4月22日から開催されていたのである。筆者は別口の取材で上京したのだが、これほどの熱狂ぶりとは思わなかった。あわよくば一見したいという気持ちも消し飛んでしまう混雑ぶり、これでは名品の前に進むこともままならない。若冲が京都・相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30 幅(宮内庁三の丸尚蔵館)が東京で一堂に会すのは初めてで触手をそそるが、改めてテレビ他の画像宣伝効果の凄さを思わずにはいられなかった。
筆者が初めて若冲の作品に接したのは、2000年に京都国立博物館で開催された没後200年記念の若冲展で、一挙に若冲ブームに火がついた感がある。超写実と想像を込めたシュールな技法の高さに圧倒される一方、雪梅雄鶏図にみる白抜きの雪の実存感にもおおいに驚いた。その後、白抜きの雪といえば即、若冲の名前が浮かんだほどである。
さて、この若冲展が始まる前に、生誕180年記念の「富岡鉄斎展」と「我が名は鶴亭」を神戸の地で続けて展観する機会を得た。そこで2つの新鮮な思いを持ったのである。日本の近代水墨の世界に留まらず、日本画、洋画の世界にまで多大な影響を与えた鉄斎が、強烈な色彩をためらわずに使用していた事実を改めて実感したことがひとつ。もちろん墨だけの作品もあるが、最晩年に至るまで色彩が作品に宿っている。それなのに骨格は墨が担っているから不思議である。これは、唐絵の色彩を鉄斎が取り入れた所以であり、使用する色は主に3色である。赭石(しゃせき)と呼ばれる土状の赤鉄鉱。精製して深紅色の顔料として用いられるが、中国山西省代県に産するものが有名なので、代赭石(たいしゃせき)ともいう。もうひとつが靛花(でんか)と呼ばれる植物染料の藍に由来する色材。両方とも墨の表現を妨げない透明色で、画面に寒暖の対比を与えることができた。その靛花に透明色の藤黄を加えた「草緑」があり、草木の表現に用いられた。鉄斎の作品には、しばしば藤黄も単独で使用されている。何にもまして鉄斎の凄さは構想力にあるが、それを支える鍛錬された筆線の重要性が2つめの思いだ。そして同じ思いを鶴亭に見た。恥ずかしながら筆者は初めてこの画人の名前を耳にした。鶴亭は南画を初めて日本に伝えたと云われる逸然禅師(興福寺第三代住持)との繋がりが深い長崎で1722年に生まれ、(俗世名不明)13歳の頃より画に親しんだという。20歳の時に聖福寺で黄檗僧となったが、沈南蘋(しんなんぴん)の弟子であった熊斐(ゆうひ)にこの頃から画を学んでいる。5年後故あって還俗し、大阪、京都で沈南蘋風の花鳥画で一世風靡し、京阪の画家に大きな刺激を与えたと云う。その後10年の内に鶴亭は白抜きの雪の「雪竹図」と「雪梅図」を描いている。同時代の京の若冲が憧れたと云われている。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円