今月の課題 「つもりちがい十ヶ条」 編集主幹 松原 清
つもりちがい十ヶ条
高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知恵
浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面の皮
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少いのが分別
少いつもりで多いのが無駄
もう15年ほど前になろうか、行きつけの飲み屋さんのトイレに「つもりちがい十ヶ条」という格言が貼られていた。以前から哲学者や科学・文学者の名言を一定期間に貼り替えてあり、私の雑学欲をくすぐる密かな楽しみでもあった訳だが、言い得て妙の「つもりちがい」の文言はずっと心の片隅に残っていた。
それが、OB会(30年前に退職した会社)の小旅行で偶然にその文言に遭遇したのである。場所は、信州長野県飯田市の元善光寺。ウィキペディアによると、古くはこの地を麻績の里(おみのさと)と呼んだ。推古天皇10年(602年)にこの地の住人本多(本田)善光が、難波の堀江(現在の大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、麻績の里の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされる。
その後、皇極天皇元年(642年)、勅命により本尊は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され、この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。遷座された本尊の代わりに勅命によって木彫りの本尊が残され、また「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)が残されたことで、「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれている。
引用が長くなったが、ここ元善光寺にも距離は短いが「お戒壇めぐり」の暗黒の地下回廊がある。お戒壇めぐりをすることで、極楽浄土が約束されると言われているが、信心の力と宗教界の知恵をいまさらに思う。「つもりちがい」の文言を書いた用紙は以前は無料で配られていたが、すぐ無くなるので線香やお守りなどを買うと貰えるようになったとか。私も、燃え尽きても佛の象が残るという線香を土産に買って、その1枚をゲットしたのである。
さて、冒頭に掲げた十ヶ条を再度読んで頂きたい。知ったかぶりをしたことはないだろうか!知らないことを知らないと自覚してこそ前に進める。プライドとは確固たる知識と信念とに裏打ちされた自負心で決して吹聴したり、人を打ち負かすものではない。キリのない金銭欲、権力欲。自分一人で今の地位が築けたのではないのに、人を助けようとしない薄情者の多きよ。
今の自分に当てはめてみる。何かに行き詰まった時この十ヶ条を思いだすのも肝要かもしれない。因に、奥多摩の高尾山の「薬王院」にも「つもりちがい十ヶ条」の看板があるとのこと。「重いつもりで軽いのが責任」は現代の風潮。そんな中でも「短いつもりで長いのが青春」の意気を持ち続けたいものである。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円