アトリエ訪問

新連載 第12回



アトリエ訪問 新連載 第12回
洋画家 泉水眞澄さん
 ― ユニークな裸婦像 ―
訪問者:中野 中


 秋葉原駅から総武線で約20分、江戸川を渡ると最寄りの市川駅だ。迎えてくれた車で市街を抜けて急な狭い坂道をのぼった取っつきが泉水さんのアトリエだ。
 道脇の駐車場を挟むように立つ二つの物置小屋は、作品保管棟だ。画家の皆さんはどなたにも頭痛の種である。
 アトリエはニッキシナモンの常緑高木やねずみもち、竹、椿、山茶花などに囲まれ、南面は数段低い畑地の先に市街が広がり、ひと際高層のビル二つが駅舎を挟んでそびえる様子が、木の間越しにのぞまれる。じょうびだき、ひよどり、めじろ、しじゅうから、きじばとなどもやってくる、と顔をほころばせながら次々と数えあげてくれた。
 アトリエは一階で、奥が泉水さん、板壁の間仕切りの手前が奥様のそれである。奥様は渡辺悟の名で土日会展や個展などで活躍している方だと、迂闊にも知らないでいた。玄関から二つのアトリエをつなぐ廊下は吹き抜けになっており、生活空間の2階はそのぶん南へせり出している。泉水さんのアイデアでそうなったそうだ。
 ちなみにお二人は、日大芸術学部卒業の同期生とのこと。



壁にかかる抽象構成の大作は奥様(渡辺悟)の作品

 

 さて、泉水さんは裸婦ばかりを描いている(もちろん風景も静物も描くのだろうが、アトリエで初めて風景画をみた)。その裸婦像はいささか趣を異にしている。
 昨今、日本で持てはやされている陶磁器のような滑らかな肌をもつスマートな体をした美人の姿とは、ずいぶんかけ離れている。ふと、ルーベンスを思い出すかも知れない。かの『パリスの審判』の三女神のヌード作品は傑作とされるが、あのぶよぶよした肉塊は嫌いだ、という人がいる。が、絵の描かれた17世紀の頃の美人の典型であったのだ。日本でもお多福顔や爪実顔が持てはやされた時代もあるのだ。美の好みは時代によって様々なのだ。



Distance  油彩 2022 年 120 号

 

 それはそれとして、泉水裸婦はスタイルも顔も決してよろしいものではないが、どことなく看過出来ないものがある。それは、的確には言えないが、人間存在そのもの、複雑怪奇な人間の内面を裸体をかりて描こうとしているのではないか。大袈裟な身ぶりではない、つい無意識に不用心に見せてしまう姿体、それにしても『Distance』の群像は、ヨロヨロウロウロとしてい過ぎではないか。ちなみにマスクの色は赤橙黄緑青藍紫の色環になっている。色の持つ様々なイメージや感情を女性の内面を表徴しているのではなかろうか。そう見えてくるとこの群像の誰かが見る者の内面と重なってきて、画面の磁力に惹きこまれているのだ。ちなみに手前の首像は作家自身。一転して溌溂と光を発している『大地』の輝かしさ。いずれにしても不思議でユニークで独自の世界である。
 小学2年で水彩を、中学で油と書を、18才からプロにまじってデッサン教室に通った。デッサンの名手なのだ。




大 地  油彩 2008 年 100 号

 

*1943年木更津市生。無所属。