アトリエ訪問

新連載 第11回



アトリエ訪問 新連載 第11回
洋画家 寺久保文宣さん
 ―アイマイの美学―
訪問者:中野 中


 玄関脇に小型車に自転車3台。チャイムを鳴らすと、ややあって庭のほうからご本人がサンダルをひっかけてあらわれた。モチ科の緑に赤がまじる生垣をまわりこむと、住宅地には広めの庭が春の陽を浴びて葉を繁らせている。
 大きなニレケヤキがほどよい影をつくり、木蓮やカマツカの小花、椿、ツツジ、とりわけモミジの青シダレが目にやさしく映る。足もとには草花の間をぬって跳び石が配されている。造庭というより自然のままの様子は、手入れを控えた主の好みなのだろう。
 腰を落ちつけてコーヒー(うまかった)をいただき、庭を楽しみながら、枝々のしなりや曲、ふりは裸体そのままで、寺久保さんの描く裸婦に連想は結ばれていった。
アトリエは母家に隣接した独立棟。実家に戻って間もなくの21年前に建てた。アトリエを訪ねるのはいつもいささかの緊張と興奮を覚える。一歩踏み入れるとピアノの室内曲が静かに流れている。それがさりげなく、自然のままに私の心をなごませ、落ちつかせた。
 書棚には多くの画集や画論にまじって保田譽重郎(1910〜81年。奈良県生。文芸評論家として反近代主義的美意識を高唱した)の全集が棚板を撓ませている。



右上にわずかにのぞく作品は油彩にコラージュ併用の20代の作品

 

 寺久保は、絵画の根幹をなす色と形の関係を美しく響き合う音楽になぞらえた“シンフォニア”シリーズを長く続けている。
 かたわらの卓上に、何段にもうずたかくスケッチが積み重ねてある。油彩画にするときは、モデルをほとんど使わず、これらのスケッチやエスキースのなかから適宜拾い出し、組み合わせる。モデルに引かれたり束縛を避け、自由でありたいということだろうか。
 確かに、白日会展の出品作「ECHO・室内の裸婦」(掲出)は、裸婦をはじめ物のフォルムを正確にカチッと再現されてはいない。敢えて言えば甘くさえ感じる。しかしそこにこそ作家の狙いはあるのだ。
 近世末頃から近代にかけて、西欧の人物群像は色彩、形とコンポジションは密度高い完成の域に達している。しかしそれはそれとしても、置物のように少しも動かず、冷たく静止している。それを崩して、もっと自然な姿に、本然の生命を通わせたいのだ。



シンフォニア  油彩 P20 2022年

 

 色の純粋な対比で構成すると、描写が乗らないと言う。彼の心にハマってこないのだろう。そういえば“色と形は永遠に相和しない”とどこかに彼は書いていた(と記憶がある)。
 色と形は互いにスリリングに喧嘩をする。それぞれに十分語らせるからだ。構成された空間のなかで色と形をハーモニーさせ、しかも温もる響きを奏でさせるには。
 それは彼の庭と同じで、整合性を追わず、“植栽ウェーブ”のしなり 、曲 、ふり に学ぶことだ、と。
 アイマイの美学−逆説を手に入れたのだ。




ECHO-室内の裸婦  油彩 F100 2022年

 

※ 1964年埼玉県生。東京藝術大学専攻科、同大学院修了。現在、白日会常任委員、日展特別会員。上尾市在住。